オリンピックからナショナリズムについて思うこと。
ナショナリズムよりリスペクト。スポーツの世界から作り上げよう!
「ナショナリズムとは、一つの共同体としての国家という理念を前面にかかげ、他からの圧力・干渉を排して、その国家の統一・独立・発展を推し進めようとする思想や運動である」
とは、精選版日本国語大辞典からの引用です。
ナショナリズムには良い面、悪い面があるのでしょうが、あまりにも「自国ファースト」になることには嫌悪感を覚えます。
特に、私はスポーツの世界にあってはナショナリズムより「リスペクト」を優先したいですね。
さて、連日盛り上がりを見せたパリでのオリンピックも終わりました。
終わってみればあっという間でしたね。これから始まるパラリンピックも楽しみです。
そして、今大会の日本の金メダル数はアメリカ、中国の40個に続く世界3位となる20個で、銀メダル、銅メダル含めた45個とあわせて、海外最多となりました。
当初の目標が確か金メダル20個だったと思いますので、目標も達成ですね。重ね重ね、日本選手団の素晴らしい活躍だったと思います。
でも、その一方でメダル数が確定せずに、国の威信をかけた銅メダル争い、提訴合戦となっている女子体操にはちょっとウンザリですね。
国の威信をかけたメダル獲得合戦?
日本ではそういう報道スタイルではありませんし、多くの国民も国の威信が云々・・なんてないと思います。
でも、国によっては違うのでしょうね。
ほんと、リスペクトする気持ちを大事して欲しいと願います。
提訴合戦しあう両国に限らず、フラフラと判断がぶらついているIOCや大会関係者もしかりです。
振り返ると、実に多くの課題があったように思います。
ボクシング女子での性別論争、誹謗中傷には残念でした。選手サイドは刑事告訴しており、今回の女性蔑視で人種差別的な行動を行った者を特定していくとか。
やれやれ。
その背景の一つに国際ボクシング協会が主催した昨年の世界選手権では性別適格検査で不合格となっているようです。
事前に毅然とした説明がIOCからあれば、これだけの騒動にならなかったのかも知れませんね。
大会出場基準が曖昧で騒動になったのは、コロナ陽性を知りつつも陸上200メートル決勝に強行出場した件です。
その最悪のコンディションで銅メダルを獲得した選手には驚きですが、レース後に車椅子で運ばれる姿をみると「命の問題はないのか?」って思いましたからね。しかも、周りへの感染リスクはないのか?ともね。
この他にもバスケットでは疑惑の笛、柔道では電子ルーレット、スポーツクライミングでは小柄なクライマーに届かない設計、セーヌ川の水質基準、金メダルや銅メダルの劣化など、色々ありましたからね。
特に審判のあり方には日本選手も泣かされた場面が多かったように感じます。
「圧倒的な強さで勝てば良い」とはあるコメンテイターの言葉ですが、とんでもないですよね。一流のアスリート達は僅差で競っているんですから。
だからこそ、リスペクト精神なんです。
審判団は選手を尊敬し、その採点やジャッジを磨くことですし、それでも難しいところは遠慮なくビデオジャッジも採用すべきだと思います。
選手も仲間や相手がいて競技が成り立つことに感謝することです。
五輪憲章で定められている「オリンピックは選手間の競争であり、国家間の競争ではない」これを改めて落とし込んでおきたいと思います。
ナショナリズムよりリスペクト。そういう世の中であって欲しいと願います。
うん、まずはスポーツの世界からですね。
おまけの一枚は仙台空港にて。なかなか粋なサービスだと思いますが、私には縁がないようです。苦笑
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