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新約聖書から。「コリント人への第一の手紙」の第10章13節
新約聖書から。
「コリント人への第一の手紙」の第10章13節
あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。
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聖句との出会い
この聖句に出会ったのは、
平成四年だった。
(昭和62年、平成四年は、聖書を読んだ時期だった)
当初、
【耐えられない試練】
ばかりの人生だと思って、還暦まで生きてきた。
2. 転機
56歳から始めたゴミ拾いボランティアを機に、私の人生が変わり始めた。
58歳の引っ越しは、人生23回目。
人間関係は、総入れ替え。
【一生懸命な人、夢を語る人】
との出会いが、増えた。
私も夢を語るようになった。
車椅子生活なんて、人生を諦める理由にならない。
私の夢は、作詞作曲。
3. 《耐えられない試練》とは?
幼稚園の頃、テレビのアニメを母と2人で、観ていた。
感動した私は、思わずウルウル(T^T)
その時母が、
【あれ?
この子泣いてる。
なんで?
あっはっは(^o^)】
私を嘲笑した母の笑顔、
今でも忘れない。
私は、心を閉ざし、自暴自棄な人生を歩み始めた。
幼稚園の頃に、自暴自棄な人生がスタートした。
自暴自棄だから、イジメにも遭い、逆らえず、離婚や多重債務。
57歳で免責決定するまでの25年、多重債務の生活だった。
4.《のがれる道》とは?
同じく幼稚園の頃。
母の嘲笑より、前だったかも知れない。
私は、自主的に作詞作曲して、母に聴いてもらった。
【面白いね!
続き、唄おうよ】
と、母も作詞作曲した。
この時の母の笑顔も忘れない。
5.そういうことか
母の嘲笑に始まる
《耐えられない試練》
何度も、人生を終わらせることを考えてきた。
しかし、そんな中で、作詞作曲を続けてきた。
《のがれる道》とは、作詞作曲だった。
《耐えられない試練》を
与えた憎き母。
《のがれる道》を
与えた楽しい母。
そういうことか。
今朝、「コリント人への第一の手紙」の第10章13節を読み返して、私なりに納得できた。
6.栄光の道
免責決定したおかげで、
私の作品を、
・歌ってくださる人
・添削してくださる人
が、増えた。
そして、私の作品のファンが増えた。
《耐えられない試練》
から
《のがれる道》
そして
《栄光の道》
還暦の1年は、大きな転機だった。
新しい出会いが多く、
未熟な私を成長させてくれた。
中でも、
神社のストリート・ピアノを弾いていた女性には、返しきれない恩を感じている。
みんな
ありがとう!