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デザインと出会えて良かった #デザイナーになったわけ

自分には何もない

子供の頃から受動的な人間でした。
誰かの言う通りにして、うまくしていれば
生きていけると思っていました。

ピアノがそうでした。
ずっと弾いていたピアノ。
だけど長年続けていた音楽を大学卒業時に辞めました。

「あなたから音楽を取ったら何が残るの!」

母の言う通り、自分には何も残りませんでした。
何もかもリセットされ、積み上げてきたものは何もなくなりました。
でも、そうしたかった自分もいました。

たくさん期待して、たくさん与えてくれてありがとう。
感謝することは星の数ほどあれど。

他人のためを生きる人生がそこで終了ました。

「デザイン」ということば

何もなくなって。何もできなくて。何もわからなくて。

それでも、自分の選択した人生を歩みたいと思ったのです。

何もなくなったから、
誰も期待する者もいなくなりました。
でも、もう誰かの目を気にする必要なんてなくなりました。
自分はこれより下に行く所がないのだから。

だから自分が自分を信じるしかない。

けれど、当たり前のように自分は就職浪人をし、
アルバイトをしながらこれからについて模索していました。
その時アルバイト先で「POP描きをやってみないか」と言われました。
おもちゃなどに添えるPOPカード。
もともと何かを描いたり作ることは好きだったので、趣向を凝らしたPOPを作るのは意外と楽しいものでした。

「こうやって作ったものに対して何か反響があるのは嬉しい。」
「こういった作る仕事というのはどういったものがあるのだろう?」

作るもので、喜んでもらいたい。
何かの役に立てることがしたい。

それがデザインでした。
自分の意志でやっと見つけたものでした。

デザイナーになりたい

とはいえ、未経験で何も知らない人間が
デザイナーの採用面接に行っても当然門前払い。

「美大に行っていない者はデザイナーになるのは難しい。」
当時はまだそのような時代だったのです。

時は2000年。ミレニアム。
インターネットが伸び盛りの時代。

「この新しい世界であれば、潜り込めるかもしれない。」

そこからは必死に、とにかく作りまくりました。
フリーマーケットのサイト。
今であればメルカリなどで簡単に行えるものを、一から作っていきました。
サイトのデザイン、コーディング、懐かしの掲示板の設置。
商品を買ってくださった方のための包装や
おまけのカードやカレンダーなど。
今見たら笑ってしまうような制作物の数々。
ルールなんてない、めちゃくちゃなものだったけれど、
やりたいことを詰め込んだのです。

そしてその熱意とともに、幾度もIT業界の門を叩きました。

なんとか拾ってもらったウェブ制作会社で
コーダーとしてようやく最初の一歩を踏み出したのです。

一歩踏みだす勇気

自分の足でようやく人生を歩み始めてから、
紆余曲折を経てWEBデザイナーとなりました。

とはいえ、まだまだ駆け出しの初心者マーク。

「文字組みって何?」
「コンセプトって美味しいの?」

と呆れるような発言の数々。
それでも自分をなんだかんだ言いながら鍛えてくれた
当時の師匠には本当に感謝をしてもしきれません。

その後、やはりキチンとデザインやアート勉強したいと思い、ロンドンの美大に留学をしました。
実は音大時代に勇気がなくて、行く事を拒否したロンドン。
ようやく、今度は自分の意志で行く事を果たせた場所。
その時吸収したものは、今の自分のデザインをカタチ作る大切な礎となりました。

デザインと出会えてよかった

そして現在、様々なデザインを手掛けるようになりました。
きっかけであったウェブデザインはもちろん、グラフィックデザイン、ロゴやイラストレーションなど。
コンセプトって美味しいの?と言っていた人間が、「今回のデザインコンセプトは…」なんて言ったりもしています。

何もないと思っていた、元ピアノ弾きが
作るものによって何かの役に立つ事ができるように
少しはなってきているといいな。

一度は諦めてしまった音楽とも、また向き合う事ができるようになりました。
結局のところは、大きなところで繋がっていたんだね。
あの時、デザインという言葉に出会わなかったら。
きっとこのような思いに至ることはなかったでしょう。

まだまだやってみたいことはあります。
これからのデザインに対して思い、迷うこともあります。
まだまだ道半ば。

デザインと会えて良かった。

そう、こころから思います。

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