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ルイーズ・ブルジョワ展に行きました
ルイーズ・ブルジョワ展に行きました。
⚠️以下の文章では、本展示会を絶賛はしません。非常に素直な感想を書きます。
全体を通しての感想としては、拍子抜けといった感じでした。非常にショッキング、との前触れを受けていたので、MOTの高橋龍太郎コレクションぐらいの凄みを期待していました。(高橋龍太郎コレクションは本当に凄かったです。過去イチでした。展示量も質も他とは段違いでした。詳しくはいつか書きます。)
私自身、自らが双極性障害を患っていることや、現代アートを好んでいることもあり、かなり現代アートでの病理を昇華させようとする作品には関心があります。なので、かなりの期待値がありました。
蓋を開けてみるとどうでしょう。なんというか、想定内でした。「母」への固執が「乳房」や「妊婦」、「授乳」というテーマに結びつく…あまりに直感的に理解できすぎて、共感というより「知ってるなあ…」でした。
美術館に行くモチベーションとして、作家の思想を知りたい、それによって自らの思想に加わる影響を見たい、というモチベーションがあります。なので、似たような精神的に不安定な人間の足掻きを見ても、刺さりきらなかったのでしょう。
もしかしたら、これを見てショックを受ける人は「地獄」を知らないか、「地獄」の只中にいるのかもしれません。
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「母」への執着、これには私は非常に心当たりがあります。うだうだ悲しみを呟くためのXアカウントを持っていて、一時期はそこでの頻出語彙は「お母さん」でした。愛しているけど憎くて憎くて仕方ない。そういう相手でした。
それでも、「母」への執着は乗り越えました。先輩の「あなたのお母さんも人間で、あなたのお母さんもあなたの祖父母の子どもでしょ」という言葉が大きかったように思います。その時初めて、母を母ではなく一人の「人間」として認識し、その不完全さを認識し、「許す」ことができました。初めて、はっきりと「しょうもない人間で嫌い、でもまあ付き合ってはいけるよね」と思えるようになりました。母を崇拝しなければいけないという強迫観念、母からの愛を求めること、全てが日々を過ごしていく中で薄れていきました。
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ルイーズのトラウマと、私のトラウマ、もしかしたら彼女のもののほうが重かったのかもしれません。でもそんなこと言い出したら、学校に行けるし食事は与えられるルイーズの暮らしは、ヤングケアラー的であれど「地獄」の中ではマシな「地獄」なのかもしれないですよね。(地獄は各々のもので、比較されるべき対象ではないということは重々承知しているし、実際にこう思っているわけではありません)
ルイーズは制作活動に救いを見出したのでしょう。母との、父との、母としての、様々な苦しみから逃れるように、彼女は制作をした。
でもそれはもしかしたら、トラウマの強化に繋がってしまった側面もあったのでは?と感じました。
彼女が老いた後も「家族」を題材にして制作を続けたこと、老いた彼女が手を震わせ涙を堪えながら父のことを話す動画、これらを見て思いました。
「ぜーんぜん寛解してないし、特にすごく明るくもなってないやん!」と。
だからでしょうか、あまり公式の紹介文や感想のポストなどのように「鼓舞される」感覚はありませんでした。
本展の副題「地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」はハンカチに刺繍で言葉を綴った晩年の作品からの引用です。この言葉は、ブルジョワの感情のゆらぎや両義性を暗示しつつ、ブラックユーモアのセンスをも感じさせます。自らを逆境を生き抜いた「サバイバー」だと考えていたルイーズ・ブルジョワ。生きることへの強い意志を表現するその作品群は、戦争や自然災害、病気など、人類が直面する、ときに「地獄」のような苦しみを克服するヒントを与えてくれることでしょう。
今の私にはまだできないけど、いつかの私は母とのことを「そんなこともあったね〜」と笑い飛ばせるようになりたいのです。
ですから、声を震わせながら父について語るルイーズの姿はショッキングだった。どの作品よりもショッキングでした。
だから、私はルイーズにはなりたくないし、憧れないし、彼女が「そう」ならなかった方法について考えてしまいます。彼女が制作への依存をどこかでやめていたら、彼女は世界的な芸術家にはならなかったでしょう。
しかし、フェミニズムと言うにはあまりに個人的トラウマに寄りすぎている作品が、「個人的なことは政治的なこと」として評価されてしまったこと、これもあって彼女は制作をやめられなかったのではないでしょうか。
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彼女は精神分析の治療を受けたみたいですが、結果的にあまり意味をなしていないように思えました。そもそもの話、年老いてからも幼少期の家庭環境に固執することって、そんなにいいことですか?
なので、ぐだぐだ書いて来ましたが、結局感想はこうです。
「精神科とお薬、私をある程度普通に生きさせてくれて、ありがと〜!」
これに尽きます。肝臓を多少やったって、年老いてからでも親の話をするぐらいなら、とっととそんなトラウマとはおさらばして、薬漬けの明るい人生のほうが私はいい。
ルイーズになくて私にある一番大きな違い、適切な医療へ繋がれたかどうかということな気がします。
一人でも多くの人が適切な医療、カウンセリング、服薬を通じて、苦しさから開放されますように。祈ってこの文章を締めくくります。
追記:この展示を見て精神が危うくなる人は、治療が適切ではないし、この展示を見て気まずくなる相手は結婚相手として不十分では?と思いました。気になるなら、誰とだって行っていいと思います。美術館なんてそんな高尚なものじゃないんだから。