「異常論文」のかんそうぶん②

相変わらず、難しいことは言えない。
相変わらず、作者名はすべて敬称略でお送りする。
そいでもってやっぱりちょっと中身の話をしている。

:世界の真理を表す五枚のスライドとその解説、および注釈
 草野原々。知ってる名前。SFマガジンのなんかの回だったか、それとも早川から出てるなんかのアンソロ本みたいなやつだったか……うろ覚え…という感じではあるものの、たしかいわゆる「百合SF」の人として紹介されていたような………という記憶がうっすら。
 これはたぶん、その時にうっすら読んだいくらかの百合SFの総合的な感想なんですが。当時なんとなく百合SFとエモの相性の良さのようなものを感じた気がしていて…少年画報社のあれ リリィシステムみたいな気配です。あれを感じた記憶があって、この人はそういう感じの人なのかなぁ…と思っていたわけですが、そういうわけではなかった(そらそう)
 扉には樋口恭介の「異常論文が異常ではない」という文言があってその時点で私のこころは踊る。Dancing。ちょうど読んでいたのは土曜日の午後2時ごろ。おそらくあと10+n時間ほど後のことであればサタデーナイトがfeverしていた。
 ある種現代と非常に類似した現代から、より思想的に発展し、かつ技術面ではより強固(現象や事態を補足可能な物体と捉えているとか、固定可能な状態として捉えているという意味で)な地盤を持った社会で、「神」の発生過程を含めた世界と生命の仕組みと構造の話をしているように読んだ。たった5枚のスライドと、対応する5Pくらいの解説と、2P分もないくらいの注釈で!すごい。あぁこれが砂金の群れ

:INTERNET2
 木澤佐登志。存じてない方なんですけど「神の発生過程と世界、生命の仕組みと構造」の話を読んだ後にこのお話を読んだ(※主観)私は樋口恭介のことをやはり天才だと思いました。
 かなり小説っぽい文体でつるつるといくので、スライドで分からんくなってぽかんとした後に自我を取り戻すというのも可能なんだろうな…福利厚生がすごい。読者としてみる限りは明らかに内容が「異常」なんですが、「異常を異常と読み取れる」っていうのがこう、じわっと来る……いや 異常は「常」と「異なる」ので感じ取れなかった時点で異常ではなく…感じ取ってしまった時点で問答無用のものなので 当然といえばそうなんですが。
 ――私はいまINTERNET2にいる。
 ――ここはとても素晴らしい。
 逆にこれが異常論文ではなかったら、こういうじんわりした 切なさとか寂しさみたいなものを感じなかったのかもしれない。

:裏アカシック・レコード
 柞刈湯葉。名前だけはねぇ 知ってると思うんですよ。横浜駅がたしかこの方でしょう……でも今まで読んだことがなかったんですよ…なんでだろう……… て思って読み始めるの巻。
 大前提「AはBである」ということを証明するのに「AはBでない、というのは嘘だ」が証明されればよいのか、みたいなところでウォオーーーーーーーッになるわたし。たしか数学くんでは「AはBでない、というのは嘘だ」を証明できれば「AはBである」になったはずなんだよな…と思いながら、しかし作中に書かれた「言語として成立可能なありとあらゆる虚構」の網羅という言葉にまた引っかかって感覚的に三歩進んで二歩下がるピクニックでした。
 言語として成立可能なありとあらゆる虚構が収録された裏アカシック・レコード(レコード数の全容やナンバリング、検索までの所要時間などのほとんどが不明)を使って「AはBである」を証明する方法 私には 分からない……
 というのは一旦置いておいて、作中に私の好きな表現が。
 「国家による知および無知の不当な独占の阻止」。知る権利、知らない権利。「知れる」と分かっていなければ当然その権利の行使はできないわけですが、こういう 「あまねくすべて」を対象にした話、この後読んでたところにも ここまでにも 結構出てきたのですごくしみじみしました。
 あまねくすべての幸福、って私の感覚では「人間にできるものか」なんですけど、だからこそそれが可能であったり、それが視野に入ってくるまでになった人間、仕組み、社会、が描ける SFって優しい。 

:フランス革命初期における大恐怖と緑の人々問題について
 高野史緒。この方には全く罪がないんですが、この方の名前を見るとすごい「久しぶりに行った本屋の平積みを見るのは身体に悪い」の感覚を思い出して寂しくなるので、扉あたりをつるっと飛ばして読んでしまった。
 「論文」っぽい書き方がベースの中に、折々小説的な「これ絶対このあとなんかあるけどこの文が存在しているということは何もないのか……?」みたいなソワソワ邪推ポイントが多くてわくわくします。緑の人々。同時多発的に発生した大恐怖について、(私の無知のためかもしれないが)あり得そうな根拠が上がり、あり得そうな考察が行われ、あり得そうな進展が起こって着地する感じ。伊藤計劃のメトセラとプラスチックと太陽の臓器を読んだ時にもこういう感覚になったなぁ、と懐かしさをおぼえたりした。

:『多元宇宙的絶滅主義』と絶滅の遅延ー静寂機械・遺伝子地雷・多元宇宙モビリティ
 難波優輝。「絶滅主義」の本文を「母へ。愛をこめて」で始めるあたり天才だな……と思いながら読み始めた。
 思想がその定義や議論の浸透甘いままセンセーショナルに取り上げられて流行し、産業まで興ってしまうと、その時点では必ずアンチが発生するよな(指摘の妥当性などを一旦置いておいて)と思ったり。社会的なリアリティと思想的技術的なフィクションの塩梅が最高に好き。
 あまねくすべての話になるんですけど、「多少なり自我が存在する時点ですべての生物には苦痛がある」としたうえで、「その苦痛を自己申告可能な対象には絶滅の選択権がゆだねられるが、申告が不可能な対象は選択を行えないものとみなして絶滅させる」みたいな。可能な限りの誠実さと、それを行おうとする人間の横暴と傲慢。
 「絶滅は人間だけにもたらされる救済であってはならない」とする絶滅主義は、現在進行形で行われている繁栄が人類にしかもたらしていない恩恵。死はすべて悪である、というような前提を取っ払ってしまえば、絶滅主義が受け入れられたこの社会は現実よりも真摯で優しい。

:『アブデエル記』断片
 久我宗綱。これは無限に考えられる作品。
 そも、題材が宗教的な史蹟の「断片」でしかないというところ。しかも「断片の翻訳の翻訳」であるので、作中表記に一部欠損や表記ゆれなどが含まれるというところ。そいでもって「描かれる断片は作者によって抽出されたものであり、欠損や表記の揺らしにも意図が含まれるはずである」というところ。
 例えばアブデエルが叔父に与えられた「従者」というのが原意正しく従者であるのか不明であったりする。例えば、神の使いに召し上げられたアブデエルが叔父の死を見た後「人になった」というのが、直訳では意味が通らないが、とりあえずそのままにしている、というような扱いであったりするところ。象徴的で宗教的なエピソードが断片として描かれる中で、一般教養レベルのわかりを得たり、「わかるけど、これは”異常論文”だから そういう意図ではないんじゃないか」みたいな こう 楽しいタイプの邪推をできてしまう。
 ほんとう これは沼ですよ……

:火星環境下における宗教性原虫の適応と分類
 柴田勝家。この人もどっかで見たことあるんですけど!!!たぶんSFマガジンだったとおもう……けど… 記憶が…………
 これもほんとに大好きです。宗教的であることは健康か?
 火星から来た文章なんですよね。体裁として。なのでこの筆者は火星人、ということになります。でこの火星人が、地球と同じ宗教(キリスト教、仏教等)を信仰しているというわけで。さてそれはなんでだろうということを火星人が火星の常識でもって分析してくれるんですけど。
 それによると「宗教性原虫」に感染した症状として信仰が現れるのだそう。病気です。感染症です。しかし撲滅されることなく、原虫は各々の種別が自然に消滅するまで(もしかすると他種の原虫によって原虫か、宿主が駆逐されるまで)生き続けている。
 「病気だとしても、病気であるとみとめられなければ治療対象になり得ない」のだとしたら、信仰が実際病的な原因による症状でしかないとしても、それを自覚させないメカニズムさえ備えている限り駆逐されない。
 こういう仕組みの話 たぶんわたしほんとにすきなんだろうな…

:「すべて」に対するアプローチと本屋の平積み
 ということで余談です。
 「すべて」を救おう、とか、「すべて」を絶滅させよう、とか。そういう恩恵を人間だけが受けて、それで満足するのは傲慢だ、とか。そういう発想に技術を付随させて実現させてみることができるのはSFのやさしさ。そういう話ちらっとしたんですけど。たぶんもっと大真面目に「こうする技術が成立すればこういう未来が実現できるのでは」の検証のために書いてる人もいると思うんですけど。「すべて」が「すべて」じゃないことって、現実結構多いじゃないですか。
 久しぶりに行った本屋の平積みを見て、知っているものの数、興味を持てそうなものの数。そこらへんが減るごとに、疎外感みたいなものを感じてすごく頭がぐるぐるのパツパツになるんですよね。私は、のお話です。
 そういう疎外感って、本屋の平積みじゃなくっても 例えば行列の出来てる店に入ってみたら、周囲の大絶賛の中で一人だけ口に合わなくて完食できなかった、とか。ほんとにいろんなところで、ほんとに些細に存在しているとおもうので、たぶん、いろんな心当たりがあると思うんですけど。
 現状、「すべて」に対応することが不可能であるから、「みんな」に対応されているのだろう、という前提であっても、そのみんなから取りこぼされる疎外感があるわけで…… て考えると やっぱり たとえ絶滅であったとしても、「あまねくすべて」が実現するなら、それはとても幸せなことじゃないかと。
 ぐるぐるしている。たぶん昨日からあんまり気圧がよくないね。


ということで異常論文はこちらから
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