承認欲求は悪ですか?
"承認欲求"って、
他人から認められたいっていう【我】の欲求から生まれるもので、強すぎると周りから懸念されたりしますよね。
私は今の今まで承認欲求が高い自分を無くそう、どうにかして承認欲求を抑えることは出来ないかと必死になってました。つまり、私の中で「承認欲求=悪」だったんです。承認欲求っていうものは、心の問題なので完全に抑えることは出来ません、だから、SNSを消すことで物理的にその欲求を満たすものを捨てて承認欲求を抑えることを試みてきました。
なぜ私の中で承認欲求は悪だったのか。
まず、承認欲求を満たしてくれるものとして
第一にSNS(主にTwitter)があります。
"いいね"や"コメント"、"拡散"が
欲求を満たしてくれます。
それらが欲しいための発信になることが
自分が嘘をついているようで嫌だった。
また、振り返って見てみた時に
黒歴史のようで恥ずかしかった。
そして、同じように承認欲求の強い子を見ると
共感性羞恥を感じ、自分の反面教師とした。
でも、これって全部裏を返せば
「自分の発信に賛同してくれる人が居るんだ」
という発見に繋がったり、
「この時の自分の全力はここだったんだ」
という自分の成長を実感できたりするのでは?
"いいね"が欲しいのは何故かというと
賛同を得たい、または同じ感性の仲間が欲しい、から。
そのために自分を取り繕うのも、また、自分。
振り返って「うわ、恥ずかしい」と思うということは
今はその時以上の結果を得られているから。
この考え方に至った時、
そういえばと振り返ってみるとわかりました。
承認欲求ってモチベーションに繋がるんです。
あくまで私の場合なのですが、
"いいね"がないと私には価値がないのではなく
価値がある私を"いいね"して欲しい、んです。
だから、その結果のために努力したり
もっとこうした方がいいのかもと試行錯誤するんです。
もちろん、その"いいね"のために嘘をついて
その場その場で偽物を貫く人もいて、
それは良くないのではないかとかこれだから承認欲求が高い人は…とか。でも、それって長くは続かないんです。偽物でいても評価が貰える人ってひと握りだし、そういう人ってむしろそこが強みだからどんどんそうした方がいい。自分が疲れるまで。むしろ、才能。
って、わたしは思っちゃうんです。
承認欲求と似た言葉に自己顕示欲があります。
本当の言葉の意味とか違いは調べてませんが(調べろ)、
その違いは他人に押し付けるか押し付けないかじゃないのかなぁ、と。
承認欲求は私はこうだよ!どう思う?!って感じで
自己顕示欲は私はこうなの、良いって言いなさい!みたいな。伝わります??(笑)
女子同士によくあるマウントも、
結局はそう出来るだけの実力があるということなら致し方がなし。
話がまとまりませんが、(毎回)
とりあえず思ったことを思った時にと書いています。
承認欲求=悪ではないと思っている現在、
またSNSを再開しようかなと考え中です。