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「できなきゃマズい」を抜け出そう~外国語学習は「最初の一歩」が面白い
英語・語学に限らず、「お勉強」を話題にするとどうしても「〇〇しなければならない」式の話が多くなる。
そういう義務感からする話をするのはだいたい誰にとっても(書く側にとっても)面白くない。
noteのこのマガジンは一応、特に学齢期のお子さんをお持ちで自身が「英語が苦手/できない」と思っている大人を主な読者に想定して書いている。
だから、そういう人が子どもたちに向けて「英語ができるとこんなに素敵!」ってな話ができる前向きな内容のことも書ければ、とは思う。
ただ、そういう方向の話って、中〜上級レベルまで行かないとできない経験を例に上げて、これから外国語を学ぼうという人のモチベーションをかえって下げてしまうケースが少なくない。
実は、外国語を学ぶときの愉しみは、おそらく初学者の方が多く感じられるはずだ。
未知の外国語って、最初はノイズにしかすぎない。
自分の知らない言葉・文字で描かれた看板ばかりが林立する街角を思い浮かべてほしい。
ひどく心もとない気分にならないだろうか。
意味のわからない記号の群れに囲まれている上に、周りのネイティブスピーカーはその記号で何かきちんとしたコミュニケーションをとっている。
すりガラスのカプセルか何かに閉じ込められたような孤独感。
だが、ほんの少しでもその言葉を学ぶと、その風景の見え方が変わり始める。
15年以上前、まだ韓国語を学び始めたばかりの頃、韓国のソウルを一人旅した。
街角で、なぜか韓国人の大学生らしき人に道を尋ねられた。
面食らったが、何とか自分が旅行者であり、この街に詳しい訳ではないことを伝え、たまたま目的地が一緒で距離もそう遠くなく、ガイドブックを頼りにたどり着けそうなところだったので、そこまで一緒に向かった。
おそらく英語で言えば、中学2年生レベルまでで可能なコミュニケーション内容だったと思う。
だが、自分にとってはとても大きな意味のある経験だった。
ここまでのコミュニケーションがとれなくても、それまで知らなかった言葉の中で、単語ひとつが読めたり聞き取れたりすると、今まで見えなかった世界がほんの少しだが見えてくる。
外国語学習の「ゼロから1」のステップで得られる喜びは特に大きいが、これは学習を進めていくと形を変えて何度も現れる。
ヘタに「英語がペラペラ」を目指す必要はまったくない。
自分の立ち位置に近いところから、少しずつ世界を広げていくつもりで行く方が遥かに楽しいし、結果もついてくる。
発展途上だからこそ、常に楽しみ続けられるのが外国語の学習だ。