縄文を祀る、奈良県の高嶋神社(八咫烏)について ~ 古代、争いを好まず全国に散った「縄文の氏族・賀茂氏」~
奈良県にある高嶋神社。その起源は古く、紀元前5世紀にはすでに神殿がつくられ、神事が執り行われていたそうです。
この高嶋神社は日本最古の神社の一つで、縄文の有力氏族、カモ(賀茂)氏が創設し、京都の上賀茂神社、下鴨神社をはじめ、全国の賀茂社の総本宮であり、縄文を祀る神社として知られています。
高嶋神社を創設した、鴨(かも)氏は、太古の昔、祭祀をつかさどった氏族で、カモ(鴨・加茂・賀茂)氏の「カミ」の語源は、カミ(神)をさすそうです。
カモ氏は、「鴨、賀茂、加茂」とさまざまな漢字で表されますが、いずれも同じカモ氏(鴨・賀茂・加茂)をあらわしています。
奈良県の高嶋神社は八咫烏(ヤタガラス)と深い関わりがあり、ヤマト王朝時代の八咫烏は、陰陽道・神道など、呪術的な意味で、天皇を守る組織でした。しかし明治時代以後、八咫烏の組織は、八咫烏結社と呼ばれる秘密結社として知られているようです。
古代、この高嶋神社を創設した賀茂氏は、優れた農耕技術や製鉄の技法を持ち、薬学にも秀で、天体観測で占星術もしていました。
当時、賀茂氏の匠(たくみ)たちは、鉄のくぎを田畑に打ち込み、そのくぎに稲妻が落ちるよう工夫して、田畑の土壌改良なども行っていたとか?!
しかし軍事力に秀でた渡来系民族が日本にやってきた際、賀茂氏は自らの製鉄技術で武器を作られることを恐れ、全国に散らばったそうです。
賀茂氏は高い製鉄技術を持ち、田畑を耕す農具はつくっていたようですが、武器はつくっていなかった様子・・。
実は武器を持ち、戦争するようになったのは、ヤマト王権の時代から。
それまでの縄文人は、武器を持って殺すことを好みませんでした。
実際に縄文は銅鐸で代表される、青銅文化。
銅はやわらかく武器にむきません。縄文時代、まったく争いがなかったわけではありませんが、縄文人は戦闘の際、銅鐸などを持って、互いに戦い、決定的な決着を避けるフシがあったそうです。
争いも殺傷が目的ではなかったとか?!
しかし渡来系民族は、広い大陸からやってきた民族。互いの習慣や、考えも縄文とは異なります。
そこで縄文の有力氏族・賀茂氏は、渡来系との争いを避けるため、全国に散らばっていきました。なので、カモ(鴨・賀茂・加茂)神社が日本各地にあるのだそうです。
詳しくは下記の「祈りの回廊」の記事に書かれています。
ちなみに、インタビューに答えている高嶋神社の宮司・鈴鹿 義胤氏は、お母さまが賀茂氏の方。
鈴鹿という地名も日本各地にありますが、鈴鹿氏も、賀茂氏と縁の深い、縄文の氏族だそうです。
http://inori.nara-kankou.or.jp/inori/special-interview/kowa20/
渡来系民族との争いを避け、全国に散った、縄文の有力氏族・賀茂氏。
賀茂氏は、米や野菜の収穫を上げる農耕技術を持ち、さらに薬学や、製鉄の技法を持っていたので、行く先々の土地の住民に歓迎されました。
平和を好む賀茂氏が移り住んだ場所は、お米や野菜も沢山とれる豊かな場所に変わり、病気になれば薬もある。そんな実り多い村になりました。
平和を愛し、高い技能を持った賀茂氏は、行く先々で人々に受け入れられ、各地に一族の社、カモ(鴨・賀茂・加茂)社を建てることができたのです。
その土地に住む人たちにとって、移住に訪れた賀茂氏は「福の神」のような存在だのかもしれません。
その後も、縄文の有力氏族・賀茂氏からは、修験道の開祖・役小角や、安倍晴明の師匠で陰陽道を極めた賀茂忠行などが生まれていきます。
目立たない、けれどその時代を変えるパワーを持った人物が、まるで日本を護るように、「賀茂氏」という縄文氏族から生まれていきました。
現代の私たちが持つ縄文人のDNAは約10%ほど。
残りの90%は、お隣の国の、朝鮮や中国。さらにヒッタイト民族をはじめとした、海外のあちこちの民族から受け継がれたDNAだそうです。
縄文後期から弥生時代を経て、海外のいろんな民族が日本に渡来し、そのDNAが、日本人に流れています。
でも、縄文人の「平和を愛する」心は現代の私たちにも受け継がれ、いろんな形で残っています。
最近、話題になっている「繊細さん」。
「繊細さん」とは敏感で繊細な人のことです。また、エンパスやHSP(Hyper sensitive person)と、言われることもあります。
感受性が高く敏感な「繊細さん」は、争いを好まず、暴力的なシーンも苦手です。
そしてなぜか、そういった人たちは「シャーマン(巫女)」タイプが多い。
これらは縄文人のDNAから来ているのではないか?
実は「繊細さん」が生きづらいと感じる、感受性の高さや、敏感さ・・。
それは古代の縄文で、大切な役割を担っていました。
感受性が高いということはワンネスの意識が高く、それは「和」を重んじることにつながっていきます。
そんな古代の縄文人と、現代の「繊細さん」のつながりについて、いつか掛けたらいいなと思います。