ハロルド第6章:真の友情
導入
チームTRANSCENDAの作戦会議中、シャドウベインの警戒の厳しさが議論される中、クインシーの様子は特に不審だった。彼は何か言いたげに指先を震わせ、追い詰められたような表情を見せていた。
会議後、ハロルドは監視カメラの映像でクインシーが裏口へ向かう姿を目撃。直感的に彼の後を追い、人気のない路地裏で黒いスーツの男と密会する現場を目撃する。そこでハロルドは、クインシーがシャドウベインのスパイであり、48時間以内に自分を組織に引き込むよう命令されていたという事実を知るのだった。
1.クインシーの正体
チームTRANSCENDAの作戦室に重苦しい空気が漂っていた。
三面の大型モニターにはシャドウベインに関する最新データが映し出され、その青白い光がメンバーの緊張した表情を照らしている。
「シャドウベインの警戒は厳重だ」
ロイが腕を組んで地図を睨む。
「正面からの突入は無理だろうな」
議論が続く中、ハロルドはふとクインシーの様子が気になった。
ここ最近ずっと様子がおかしい彼の表情が、今日は一段と曇っている。
その顔には、どこか深い影が差しているように見えた。
時折、モニターに表示される施設の図面に目を向けるたび、クインシーの指先が微かに震える。
誰も気付いていないその仕草に、ハロルドは違和感を覚えた。
追い詰められた獣のような、そんな印象さえ感じられる。
「裏口からなら可能性があります」
ハロルドがキーボードを叩き、モニターの表示を切り替える。
「セキュリティシステムの死角を突きましょう」
一瞬、クインシーが顔を上げる。
その目に浮かぶ複雑な感情を、ハロルドは見逃さなかった。
何かを言いかけて、でも飲み込むような仕草。
それは明らかに、ここ最近のクインシーとは違った。
会議が終わり、深夜の街が静寂に包まれる頃。
ハロルドは作戦室の機器の電源を落としながら、ふとモニターに映るセキュリティカメラの映像に目を留めた。
クインシーが建物の裏口に向かう姿が映っている。
その背中には軽やかさがなく、まるで重い足枷を引きずるような足取り。
直感がハロルドを突き動かした。
急いで機器の電源を落とし、クインシーの後を追う。
月明かりのない夜道を、ハロルドは息を殺してクインシーの後を追う。
街灯の明かりを避けながら、できるだけ物陰に身を隠して進む。
心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、親友の後ろ姿を見つめる。
クインシーの肩には、余裕が全く感じられない。
どこか焦りのようなものさえ、その足取りから伝わってくる。
クインシーは人気のない路地に入っていった。
古びたビルの影で、黒いスーツを着た男が待っていた。
ハロルドは物陰に身を潜め、二人の会話に耳を澄ます。
「遅い」
冷たい声が闇に響く。
「申し訳ありません」
クインシーの声が返る。
ハロルドの知るあの陽気な声は、完全に消え失せていた。
「作戦会議が長引いて…」
「言い訳は要らない。上からの催促が来ている。時間がない」
男の声が厳しく切り込む。
「ハロルドの件は?」
「もう少し時間を…」
クインシーの声が震える。
「もう猶予は与えられない。48時間以内に結果を出せ。さもなければ…分かっているな?」
ハロルドの背筋が凍る。
その時、足元の小石が転がった。
カラカラという微かな音が、静寂を切り裂く。
男は瞬時に姿を消した。
残されたクインシーが、ゆっくりと振り向く。
街灯の淡い光の中、親友の目が宿命に縛られたような暗い光を宿していた。それはハロルドの知るクインシーの目とは、まるで違う表情だった。
「ハロルド…」
クインシーの声が、夜風に揺れる。
二人の間に重い沈黙が落ちる。
もう、隠し事は終わりだった。
2.直接対決
寒気を帯びた夜風が、路地裏を吹き抜ける。
緊張感に空気が張り詰める。街灯の光が二人の間で揺れ、不規則な影を地面に落としていた。
「どうしたんだよ、ハロルド」
クインシーは普段の軽い調子を装おうとしたが、その声は引き攣っていた。「そんな怖い顔して、何かあったのか?」
震える指先。
不自然な笑顔。
すべてが、追い詰められた者の仕草だった。
「…今の会話、何だったんだよ?」
ハロルドがゆっくりと歩み寄る。
クインシーが視線を逸らす。
街灯の光に照らされた横顔が、影と光の境界で揺れている。
ハロルドは一度歩みを止めた。
そしてさらに一歩、前に踏み出した。
「クインシー、お前…本当に俺たちの仲間なのか?」
静かな声が、夜の闇に響く。
「それとも…シャドウベインのスパイ、なのか?」
その言葉が空気を切り裂いた瞬間、クインシーの表情から作り笑いが消え失せた。
代わりに浮かんだのは、苦悶に満ちた表情。何か言い返そうとして、言葉が喉に詰まる。
「黙秘は肯定ってことでいいのか?」
ハロルドの声が冷たく響く。
「ずっと俺たちを騙して…トリアを、みんなを、俺を!」
「黙れ!!」
クインシーの叫び声が、闇を引き裂く。
「お前に何が分かる!俺だって、好きでこんなことしてるわけじゃない!」
その声には、これまで隠してきた感情が溢れていた。
拳を握りしめる手が震え、目元が潤んでいく。
「シャドウベインを裏切ったら俺は始末されるんだ!そうなったら…そうなったら俺は…!」
「いつまでシャドウベインの下僕でいるつもりなんだ!」
ハロルドも怒りを爆発させた。
「クインシー!お前はそれで本当にいいのかよ!」
その瞬間だった。
クインシーの瞳に何かが弾けた。
彼は咆哮を上げながら、ハロルドに向かって突進してきた。
そしてハロルドは確かに見た。
クインシーの頬を伝う、抑えきれない涙を。
その涙には、彼の抱える全ての苦悩が詰まっていた。
シャドウベインへの恐れ、仲間への後ろめたさ、そして何より、自分自身への嫌悪。
「俺には…!」
殴りかかるクインシーの声が震える。
「俺にはもう…!」
3.本気の殴り合い
人気のない路地裏。
二つの影が激しく交錯する。
クインシーの突進してきた一撃を、ハロルドはかろうじて腕で受け止めた。
その衝撃に、思わず息を呑む。
シャドウベインで鍛えられた実戦経験が、クインシーの拳に確かな重みを与えていた。
しかし、その強さの中に迷いがあることを、ハロルドは感じ取っていた。
「何やってんだよ、クインシー!」
ハロルドは叫びながら、返しの一撃を放つ。
「お前、本当にこれでいいのか!?」
「うるせぇ!」
クインシーの声が裂ける。
「じゃあ俺にどうしろっていうんだよ!」
拳と拳がぶつかり合う。痛みが走る。
しかし、その痛み以上に胸が苦しい。
クインシーの拳には怒りと悲しみが、ハロルドの拳には失望と落胆が、それぞれ同時に込められていた。
「俺たちは!」
ハロルドの左フックがクインシーの頬を掠める。
「お前を信じてたんだぞ!」
「そんなの…!」
クインシーの右ストレートがハロルドの胸を打つ。
「分かってるに決まってるだろ!」
殴り合いは続く。
街灯の光が二人の影を不規則に歪める。
汗が飛び散り、血が滲む。互いの拳が空を切る音と、荒い息遣いだけが、夜の静寂を破っていた。
「シャドウベインは…」
クインシーの動きが、わずかに鈍る。
「シャドウベインは俺の全てだった。でも…」
「今はもう違うだろ!」
ハロルドは相手の隙を突いて、渾身の一撃を放つ。
「お前には、もう仲間がいるじゃないか!」
拳が顔面を直撃する。
クインシーが後ろによろめく。
しかし、その目に浮かんでいたのは、憎しみではなく、深い悲しみだった。
「分かってる…」
クインシーの声が震える。
「分かってるよ…でも…!」
最後の一撃を互いに放った瞬間、両者の拳が同時に相手の顔面を捉えた。
衝撃と共に、二人の体が宙を舞う。
そして、ほぼ同時に地面に倒れ込んだ。
夜空を見上げながら、二人は荒い息を整える。
唇から血が滲み、体のあちこちが痛む。
しかし、その痛みと共に、何か重いものが溶けていくような感覚があった。
「はぁ…はぁ…」
荒い息遣いだけが、静寂に溶けていく。
汗と血で濡れた顔を横に向けると、クインシーも同じように息を切らしていた。
その表情には、もう先ほどまでの苦悶の色はない。
ただ、深い疲労と、何か諦めたような色が浮かんでいた。
夜風が二人の間を吹き抜けていく。
拳で語り合った想いが、少しずつ形を変えていくのを、二人は感じていた。
4.真の友情
しばらくの沈黙が流れた後、クインシーが最初に笑い出した。
それは最初、小さな噴き出しのような笑いだったが、次第に大きくなっていき、ついには全身で笑い転げるような笑いに変わっていった。
その笑いには、長年抱えてきた重荷から解放されたような、どこか切ない響きがあった。
「何がおかしいんだよ」
ハロルドは呆れたように言ったが、クインシーの笑いが不思議と伝わってきた。
次第にハロルドの口元も緩み、気がつけば二人して星空の下で大笑いしていた。
「はは…本当に…何やってんだ、俺たち」
クインシーは涙を拭いながら言った。
その涙が笑いによるものなのか、それとも別の感情によるものなのか、もはや彼自身にも分からなかった。
「お前さ、なんでこんなにしつこく俺を追いかけてくるんだよ。普通なら見捨てるのが当然だろ?」
「当然って…」
ハロルドは星空を見上げながら言った。
「そんなの、誰が決めたんだよ。俺たちは一緒に戦ってきたじゃないか。Velforiaで出会った時から、お前は俺の相棒だろ?」
相棒という言葉が、クインシーの心に深く刺さった。
シャドウベインでは誰も彼をそう呼んでくれなかった。
組織の中では皆、互いを道具としてしか見ていなかった。
「バカだな、お前は」
クインシーは声を震わせながら言った。
「俺はスパイだったんだぞ。お前を騙して、組織に引き込もうとしていた。そんな俺を…」
「だから何だよ」
ハロルドは真っ直ぐにクインシーを見た。
「確かにお前はスパイだった。でもあの夜、一緒に街を守ろうって誓った時の気持ちは、本物だったはずだ。俺にはそれが分かる」
クインシーは胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
シャドウベインで教え込まれた冷徹さも、スパイとしての仮面も、全てがハロルドの真摯な言葉の前で溶けていくようだった。
「くそっ…」
クインシーは顔を覆った。
「お前、なんでそんなに…なんでそんなに信じてくれるんだよ…」
「だって」
ハロルドは静かに微笑んだ。
「お前は俺の親友だからさ」
その言葉で、クインシーの中の最後の壁が崩れ落ちた。
幼い頃からシャドウベインで教え込まれた不信と恐怖、誰も信じてはいけないという戒めが、音を立てて崩れていく。
「ハロルド…」
クインシーは笑いながら言った。
「お前、本当に最高の相棒だよ。もう…もう俺は二度と裏切らない。シャドウベインの道具なんかじゃない。これからは…これからは自分の意志で生きる」
夜風が二人の髪を揺らし、星々が静かに輝いていた。
クインシーの決意は、まるで新たな夜明けを予感させるようだった。
「よし」ハロルドは立ち上がり、クインシーに手を差し伸べた。
「じゃあ、一緒に行こう。俺たちには、これからたくさんやることがある」
クインシーはその手を取り、ゆっくりと立ち上がった。二人は互いを見つめ、静かに頷き合う。
今や言葉は必要なかった。彼らの間には、殴り合いを通じて生まれた真の絆が、確かに存在していたのだから。
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