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ハロルド第5章:疑念の芽生え


導入

チームTRANSCENDA結成後、クインシーの様子が明らかにおかしくなっていた。彼は作戦会議を度々欠席し、シャドウベインの話題が出ると表情を強張らせていた。親友の異変を心配したハロルドは、幼なじみのトリアに打ち明け、二人でクインシーを見守ることを決意する。

一方、トリアと過ごす時間が増えるにつれ、ハロルドは彼女への特別な感情に気づき始める。親友への不安と、トリアへの恋心。相反するはずのない二つの感情に揺れながら、ハロルドは真実を見つめようとしていた。

1.クインシーの異変

チームTRANSCENDAの作戦室。
ハロルドは作業台で新しい通信装置の調整に没頭していたが、ふと手を止めた。
向かいの席、クインシーが普段座っている場所が、まだ空いている。

「今日も来ないのか」

ハロルドはメッセージを確認する。
クインシーからの連絡は相変わらず素っ気ない一言だけだ。

『急な用事。また後で』

チーム結成以来、日々の作戦会議は欠かさず行われてきた。
以前のクインシーなら、たとえ遅れても必ず顔を出し、独特の明るさで場を和ませていたものだ。

「よう、ハロルド!今日も真面目に働いてんの?」
「へえ、その機械すごそうだな。俺には何が何だか分かんないけど」
「まったく、天才くんは休憩も知らないのかよ」

かつての陽気な声が、まるで遠い昔のように感じられる。
ハロルドは溜息をつき、再び作業に向かおうとする。
しかし、手元の配線作業に集中できない。
モニターの青い光に照らされた作業台に、クインシーの最近の様子が走馬灯のように浮かぶ。

特にDestrion計画の情報を発見してから、彼の態度は明らかに変わった。
作戦会議でシャドウベインの話題が出る度に、わずかに強張る表情。
それを誤魔化すように投げかける軽口。
その全てが不自然に見えてくる。

その時、作戦室の扉が開く音がした。
振り向くと、クインシーが立っていた。
普段の軽薄な笑みを浮かべているが、その目は暗く沈んでいる。

「やあ、今日も遅くまで頑張ってんだ」
クインシーの声には、どこか虚ろな響きがあった。

「クインシー!」ハロルドが作業台から立ち上がる。
「最近どうしたんだ?何か悩み事でも…」
「ん?別に何もないよ」
クインシーは軽く手を振る。
しかしその仕草は不自然で、いつもの軽やかさが感じられない。

「そうか…」
ハロルドは何か言いかけて、言葉を飲み込んだ。

「あー、そうだ」
クインシーは作戦室の中央に置かれた地図から目を逸らすように声を上げる。
「今日は用事があるんだ。明日の作戦会議には出るから」

「待てよ」
ハロルドが制する。
「また逃げるのか?」
クインシーは足を止めた。モニターの青い光が、その背中に深い影を落としている。

「…逃げてなんかいない」

低い声でそう告げると、クインシーは振り返りもせずに作戦室を出ていった。
扉が静かに閉まる音が、重く響く。

作戦室の窓からは、夕暮れの街並みが見える。
オレンジ色の空の下、クインシーの姿が建物の影に消えていく。
監視カメラの映像に映る彼の後ろ姿は、これまでになく小さく、そして孤独に見えた。

ハロルドは作業台に戻り、手元の部品を無意味にいじりながら考え込む。
信頼していた仲間の中に潜む疑念。
青白いモニターの光だけが、ハロルドの憂いに満ちた表情を静かに照らしていた。

2.トリアとの接近

早朝の静けさの中、ハロルドは溜め息をつきながら自室を出た。
普段なら既に作戦室で機器の調整をしている時間だが、昨日の作戦会議の違和感が頭から離れず、気持ちが落ち着かない。

昨夜の作戦室でのこと。
ユージーンが提示したシャドウベインの研究施設の見取り図をめぐって、メンバーの間では意見や考察が交わされていた。
モニターには青白い光で照らし出された複雑な図面が映し出され、Destrion計画の重要拠点であるという地下研究室のレイアウトが示されていた。

「この地下研究室の構造、どうもVelforiaと似ているように思えるな」
ロイが指摘した時、普段なら軽口を叩くはずのクインシーが、明らかに表情を強張らせていた。

その後も、実験設備の配置についてニコラスが皆に質問を投げかけると、クインシーは
「さあ…よく分かりません」
と視線を逸らし、それまでの陽気な態度が嘘のように消えていた。

特に気になったのは、Destrion計画の研究データが映し出された瞬間の反応だ。
明らかにぎょっとした表情が、一瞬だけ浮かんでいた。

中庭に面した廊下を歩いていると、玄関先でほうきを手にするトリアと出くわした。
長い髪を後ろで結び、エプロンを着けている。
どうやら日課の掃除を始めるところらしい。

「あれ、ハロルド?」
トリアが不思議そうに首を傾げる。
「今日はまだ作戦室に行かないの?」

ハロルドはその場で立ち止まった。
昨夜から一人で抱えていた思いが込み上げてくる。
孤児院で一緒に育った妹のような存在。
今は大切な戦友でもある。
トリアになら、この違和感を打ち明けられるかもしれない。

「ちょっと…話があるんだ」
ハロルドは言い淀んでから、ゆっくりと続けた。
「少し、時間もらえないかな」

二人は朝の掃除を終えた後、中庭のベンチに腰掛けた。
木漏れ日が庭に斑模様を描いている。
遠くでは目覚めた子供たちの声が聞こえ始めていた。
ハロルドは昨夜の作戦会議でのクインシーの様子を、できるだけ詳しくトリアに説明した。

「私も気付いてた」
トリアは静かに頷いた。
「特にDestrion計画書の内容を見た時。クインシーの反応、明らかにおかしかった」

「何か知ってるんだ」
ハロルドは確信めいた口調で言った。
「シャドウベインについて、俺たちに話せない何かを」

「何か、私たちにできることはないかな」
トリアが静かに言った。

ハロルドは庭の向こうを見つめたまま答えた。
「俺もそれを考えてた。でもあいつ、ずっと一人で抱え込んでて…」

「ハロルド」トリアが真剣な眼差しで向き直る。
「私たち、クインシーの一番近くにいるでしょう?だから、一緒に見守っていきたい」

その言葉に、ハロルドは初めて視線をトリアに向けた。
「一緒に、か」

「うん。作戦会議での様子も、その後の行動も、気になることがあったら二人で共有していこう」
トリアの声には強い意志が込められていた。
「クインシーが何か抱え込んでいるなら、私たちで受け止めたい」

「…ありがとう」
ハロルドは微かに笑みを浮かべた。
ここ数日の重苦しい気持ちが、少し軽くなったように感じる。
「クインシーのことだから、気付かれないように慎重にいかないとな」

「そうだね」
トリアも小さく頷く。
「でも、私たちならできるはず」

中庭に朝の陽射しが差し込み、二人の影が重なる。
親友を思う気持ちと、これから直面するかもしれない真実への恐れ。
その両方が、静かに二人の絆を強めていた。

3.恋の芽生え

夜の作戦会議が終わり、メンバーが次々と帰途につく頃。
ハロルドは機器の調整を理由に作戦室に残っていた。
クインシーは資料を整理し、「お先」と軽く手を振って出ていく。
その後ろ姿を、ハロルドはそっと見送った。

少しして、トリアも静かに立ち上がった。
「私も帰るね」
書類を抱えて出ていく仕草。
しかし、一瞬交わした視線には、暗黙の了解が込められている。

十分ほど遅れて作戦室を出たハロルドは、孤児院の中庭で待っているトリアと合流した。
月明かりの下、二人は並んでベンチに腰掛ける。

「今日も何も掴めなかったね…」
トリアが静かに呟く。
月光に照らされた横顔に、ハロルドは思わず見入ってしまう。
今まで何度も見てきたはずの横顔なのに、どうして最近は、こんなにも目が離せないのだろう。

「あ、ああ…」
我に返って慌てて視線を逸らす。
胸の奥が妙にざわつく。こんな感覚は初めてだった。
同じ孤児院で育った幼なじみ。
いつも一緒にいる大切な存在。
けれど最近、その「大切」の意味が、少しずつ変わってきているような気がする。

深夜の静けさの中、二人は黙って孤児院まで歩を進める。
いつもと同じ帰り道。
でも今夜は、街灯の明かりも、吹く風も、全てが特別に感じられた。
時折、トリアの肩が自分の腕に触れそうになる度に、心臓が大きく跳ねた。

「クインシーと出会って、まだ半年くらい?」
トリアがふと呟く。
「でも、もっと長く知ってる気がする」

「そうだな」
ハロルドも思い返す。
「あの日、Velforiaで初めて会って、いきなりチームを結成しようって言い出すんだから」

懐かしむように笑いながら、でも胸の奥は締め付けられるような感覚。
親友の異変を案じる気持ちと、目の前のトリアへの想いが、複雑に絡み合う。
トリアの髪が風に揺れる様子、か細い指が髪をかき上げる仕草、柔らかな声の響き。
それら全てが、まるで初めて見るもののように、ハロルドの心を揺さぶる。

「ね、ハロルド」
ふいにトリアが立ち止まる。月明かりに照らされた瞳が、真っ直ぐにハロルドを見つめる。

「最近のクインシー、ますます声をかけづらくて…やっぱり心配だよ」

その真摯な眼差しに、ハロルドは言葉を失う。
トリアの不安げな表情に、思わず手を伸ばしそうになって慌てて止める。
こんなふうに、彼女の仕草の一つ一つが胸に響くようになったのは、いつからだろう。

夜更けの道を、二人は黙って歩き続ける。
肩が触れ合うたび、手の甲が擦れるたび、ハロルドの心臓は大きく鼓動を打つ。
こんな近くで歩くのは、いつものことのはずなのに。

「あのさ」
ハロルドは空を見上げながら、少し震える声で言った。
「トリアと二人で、こうやって話せるのが、なんていうか…」

言葉が続かない。
トリアの存在が、これまでとは違う重みを持ち始めている。
その変化に戸惑いながらも、確かに分かることがあった。

彼女の笑顔を見ると嬉しくて、悲しそうな顔を見ると胸が痛い。
一緒にいると心が落ち着くのに、どこか緊張して、でも離れたくない。
幼い頃からずっと一緒にいた「妹のような存在」という言葉では、説明がつきそうになかった。

「ありがとう、ハロルド」

突然のトリアの言葉に、ハロルドは我に返る。
「私一人じゃ、きっとクインシーの変化を見過ごしてたよ。でも、ハロルドが気づいてくれたから…」

その言葉に、ハロルドの胸は大きく波打った。
親友のことを案じる気持ちと、目の前の彼女への想い。
相反するはずのない二つの感情が、なぜか胸の中でぶつかり合う。

孤児院に着き、「おやすみ」と短く言葉を交わす。
別れ際、ハロルドはふと振り返った。
月明かりに照らされたトリアの後ろ姿。小さな背中が、廊下の向こうへと消えていく。
その姿を見送りながら、ハロルドは自分の心臓の鼓動にいま始めて気が付いた。

自分の部屋に戻っても、ハロルドの心臓の高鳴りは収まらなかった。

4.夕陽が見える丘

クインシーを追跡していた足取りが途絶えた。
ハロルドとトリアは人気のない丘の上に立っていた。風が二人の髪を優しく揺らす。
最初に空の変化に気付いたのは、トリアだった。

「ね、見て…」

その声に振り向いたハロルドの目に、息を呑むような光景が広がっていた。
茜色に染まった雲が、まるでちぎれた薄絹のように空一面に広がり、その隙間から漏れる夕陽の光が金色の帯となって地上に降り注いでいる。
街並みのシルエットが逆光に浮かび上がり、窓という窓が夕陽を映して輝いていた。

刻一刻と空の色は変化していく。
濃い紅色から薄いピンクへ、そしてオレンジ色から淡い金色へ。
まるで誰かが絵の具を流し込むように、色が溶け合っていく様子に、二人は思わず足を止めた。

草むらに腰を下ろすと、風に揺られる背の高い草たちが、二人を優しく包み込んだ。
茎と茎の間を漏れる夕陽が、無数の光の粒となって踊っているように見える。

遠くの空では、白い雲が次々と色を変えていく。
純白から薄紅色、そして燃えるような赤へ。
その景色は刻々と変化し、一瞬として同じ表情を見せない。
時折吹く風が、雲の形を少しずつ変えていく。

風に乗って、どこからか野花の香りが漂ってくる。
ほんの少し前まで真っ青だった空が、今は夕暮れ特有の深い青へと変わり始め、その青と茜色のグラデーションが、まるで水彩画のように美しい。

「トリア」

ハロルドは夕陽に照らされた草原を見つめながら、決意を込めて言葉を紡ぐ。

「俺、もう自分の心をごまかせない。クインシーが、シャドウベインのスパイかもしれないって…そう疑ってる」

トリアの横顔が、夕陽に照らされて揺れる。彼女の髪が風にたなびくたび、輝く夕陽の光が金色の粒となって散っていく。

「そんなこと、本当は口に出したくなかった」
ハロルドは拳を握りしめる。
「でも、あいつの仕草、表情、行動、全部が全部怪しく見える…」

言葉が途切れる。
目の前には美しい夕焼けが広がっているのに、胸の中は暗い影に覆われているようだった。
黄金色に染まる世界が、この瞬間だけ遠く感じられる。

ふいに、温かい感触が手の甲に触れる。
トリアが、そっとハロルドの手に自分の手を重ねていた。その指先が、夕陽を受けて透き通るように見える。

「私も」
トリアの声は静かだが、芯が通っている。

「そうかも知れないって思ってた。でもね、ハロルド。どんな真実が待っていても、私はあなたのそばにいる」

「トリア…」

「私たちが力を合わせれば、きっと全部乗り越えられるよ。クインシーだって、きっと戻って来る…」

その言葉は、夕陽の光のように温かく、ハロルドの心に深く染み渡った。
トリアの手のぬくもりが、彼の不安を少しずつ溶かしていく。

草原に吹く風が、二人の間を通り抜けていく。
今や空一面が燃えるような茜色に染まり、その下で草々が黄金色に輝いている。
ハロルドは彼女の横顔を見つめていた。
柔らかな夕陽に照らされたトリアの表情が、今までに見たこともないほど愛おしく感じられた。

胸の奥で温かいものが広がっていく。
クインシーへの疑念とは違う、純粋で、でも切ない感情。
その想いに、まだ名前はついていなかった。

「ありがとう、トリア」

ハロルドは茜色の空を見上げながら言った。

「君がいてくれるなら、俺もこの先立ち向かっていける気がする」

夕陽は次第に地平線の向こうへと沈んでいく。
最後の光が大地を紅に染め上げ、二人の長い影が重なり合う。

やがて空の色が紺碧へと変わっていく中、ハロルドは自分の心に確かな形を取り始めた感情を、静かに受け入れていた。
それは不安と期待が混ざり合ったような、切なくて温かい想い。
幼なじみのトリアを、もう一度見つめ直す瞬間だった。


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