ユージーン第5章:トリアの決意
導入
チームTRANSCENDAの作戦室でDestrion計画の資料を精査するユージーン。シャドウベインの意図が明らかになるにつれ、世界の危機が迫っていることを悟る。
シルヴェスター、マキシマス、そしてトリアを集め、ユージーンは重要な会議を開く。30年前の大災害で封印されたABYSSの復活を防ぐため、セレスティアの力の謎に迫ろうとしていた。
しかし、そこには危険な選択と厳しい決断が待ち受けていた。ユージーンとトリア、二人にとっての試練の時が訪れる。
1. 計画の核心
作戦室の蛍光灯が深夜の静寂を青白く照らしている。
ユージーンは大きな会議テーブルに広げられた資料の山に目を通しながらため息をついた。
表社会の人脈と裏社会のネットワークからかき集めた情報、そしてハロルドが解読した「Destrion計画」のデータ――それらが示す真実に、彼の胸中は戦慄で満たされていた。
「これは…」
彼はスクリーンに映し出された実験データに目を凝らす。
シャドウベインは単なる犯罪組織ではなかった。
彼らはABYSS――人類の理解を超えた存在の再現に挑もうとしていたのだ。
資料には、巨大な地下施設の存在を示す地点が並んでいる。
人里離れた山岳地帯、立ち入り禁止の旧廃鉱、湿地帯――どれもが秘密裏に行われた大規模工事の痕跡を残していた。
静かに扉が開き、マキシマスがいつもの穏やかな笑みを浮かべて姿を見せる。
「こんな時間までご苦労様。進展は?」
「ええ、良いニュースではありませんが」
続いて、シルヴェスターが重厚な足音とともに入室した。
「状況を報告してくれ」
彼の眼帯が蛍光灯に反射し、その存在感に部屋の空気が張り詰めた。
最後に、トリアが少し緊張した様子で入ってくる。
「失礼します」
「ちょうど始めるところだ、座ってくれ」
ユージーンは促した。
彼は立ち上がり、スクリーンに衛星写真を表示する。
一見すると何の変哲もない荒地だが、地下に隠された施設の痕跡が浮かび上がる。
「シャドウベインが建設した複数の地下施設では、ABYSS再現を目的とした研究が行われています」
中央の大型ディスプレイに解読データが次々と表示される。
魔道エネルギーの制御計算式、生体反応の観測記録、そして禁忌とされる研究資料――どれもがその危険性を物語っていた。
ユージーンはそのうちの一つを指さす。
「このエネルギー波形を見てほしい。30年前の記録がないため検証はできないが、この数値は通常ではあり得ない。ABYSSに関連する可能性が高いと僕は見ている」
トリアは身震いをした。
「…本当に、こんなものが再現されるなんて」
ディスプレイに映る波形の律動は規則的でありながら、どこか狂気じみた不気味さを漂わせていた。
見ているだけで背筋が冷たくなるような異常性がそこにはあった
シルヴェスターが腕を組んでディスプレイを睨みつけた。
「これほどの規模でABYSS再現の研究を進める理由は一つしか考えられない。つまり彼らはABYSSを兵器として利用し、軍事力で世界に君臨しようとしている」
ユージーンの声には重みがあった。
「それは推測じゃないのか?」
マキシマスが眉をひそめる。
「その通りですが、それ以外の目的は考えづらい。そして計画の規模と内容を見れば、黙って見過ごせるものではありません」
シルヴェスターが険しい表情で口を開く。
「どちらにしろ、ABYSSの再現が人類に対する脅威であることは明らかだ。これを阻止する時間はどれほど残されている?」
「正確な予測は難しいですが、進行速度から見て数ヶ月、あるいはもう間に合わないかもしれません」
ユージーンは続ける。
「さらに、これらの施設の一つや二つを破壊しただけでは計画の阻止はできない。他の施設が代わりに機能するからです。ゆえに、我々は最悪の事態に備える必要がある」
そして、ユージーンは三人に向かって頭を下げた。
「そこで皆さんにお願いしたい。ABYSSに対抗する手段を見つけたい。30年前の大災害につながる情報を、何でもいい、私に教えてほしい」
重たい空気が流れる。
シルヴェスターは深く息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。
彼の瞳には、長年封じ込めてきた大惨事の影が宿っていた
「わかった、私の知る30年前の真実を話そう」
その言葉に、深い決意と覚悟を込めて。
2. 使命と尊厳の狭間
シルヴェスターは立ち上がり、その存在感が部屋全体を支配した。
蛍光灯の光が彼の眼帯に反射し、30年の重みを背負った表情が浮かび上がる。
「30年前、世界は未曾有の破壊に直面した」
彼の口元が引き締まり、これから語る内容の重大さを物語っていた。
「ABYSSの出現は、人類の理解をはるかに超えていた。その力は圧倒的で、王都は一瞬にして灰燼に帰した。建物は崩れ落ち、大地は裂け、空は暗黒に覆われた」
シルヴェスターは窓際に歩み寄り、夜景を見つめながら続けた。
「私たちは、文字通り絶滅の淵に立たされていた。私自身、死にゆく運命だった」
彼の背中には、あの日の光景を今も鮮明に覚えている者の重みが感じられた。
「だが、クララが降臨した。セレスティアとしての彼女の力は、まさに神々しいものだった。漆黒の空に、彼女は光となって輝いた。そして…」
彼は一瞬言葉を詰まらせ、握りしめた拳が微かに震えた。
「自らの命を懸けて、ABYSSを封印したのだ。私は彼女の力に救われ、そして、彼女の最期の瞬間をこの目で見た」
重苦しい沈黙が部屋を支配する。
「そう…ですか。ですがセレスティア・クララはもうこの世にはいない」
ユージーンは静かに言った。
その時、トリアが遠慮がちに口を開いた。
「あの、実は…私、セレスティアなんです。クララさんの転生体なんだそうです」
「なんだって?」
ユージーンは驚きに目を見開き、トリアを凝視した。
シルヴェスターは頷いた。
「そうだ。トリアはクララの魂を受け継いでいる。先日の列車襲撃作戦での覚醒が、その証だ」
ユージーンは一瞬言葉を失ったが、すぐに鋭い眼差しでトリアを見つめた。
「トリア、その力をより詳しく教えてくれないか」
彼の声は冷静を装っていたが、その下には切迫した感情が潜んでいた。
「君は普段から何か感じているのか?特別な感覚とか」
「いいえ…特には…」
トリアは言葉を選ぶように慎重に答えた。
ユージーンの声が強まる。
「では、列車での出来事の時は?力が目覚めた瞬間、どんな感覚があった?どんな風に力は現れた?」
「あの…私…」
トリアは言葉につまる。
ユージーンは更に詰め寄る。
「体の中で何が起きた?意識はあったか?力をコントロールできたか?他にも似たような経験は?」
息つく暇もない質問の連続に、トリアの顔が蒼白になっていく。
小さな肩が目に見えて震え始めた。
「目覚めの兆候は他にもあったはず。いつ頃から…」
「黙れ!」
シルヴェスターの声が雷のように響いた。
その一喝に、部屋の空気が凍りつく。
「トリアを追い詰めるな!」
シルヴェスターは机を叩きつけるように立ち上がった。
その瞳には、ただならぬ怒りが宿っていた。
「彼女はお前の研究材料ではない。お前が欲しいデータを得るための実験台でもない」
一瞬の沈黙が流れる。
ユージーンは深く息を吐き、姿勢を正してシルヴェスターに向き直った。
「シルヴェスター、私もトリアを危険に晒したいわけじゃない。ですが、現状では彼女の力が鍵となるのです」
シルヴェスターは冷たい視線を向けた。
「何も分かっていないな。セレスティアの力は、そう簡単に制御できるものではない」
「しかし、彼女には素質があるのでしょう?」
「素質があるからこそ危険なのだ」
シルヴェスターの声が鋭く響く。
「未熟な状態での力の解放は、彼女の命さえ危うくする」
トリアは黙って俯いていた。
手の震えを必死に抑えながら、議論に耳を傾けている。
「では他に方法があるとでも?」
ユージーンの声が苛立ちを帯びる。
「Destrion計画を止められる可能性があるのは、セレスティアの力だけだ」
マキシマスが静かに介入した。
「落ち着いて、ユージーン。君の焦りは分かるが、私たちは大人として、彼女を守る義務があるだろう?」
「そんな悠長なことを言っている場合ではありません!」
ユージーンが机を叩く。
「時間がないんです。このままでは」
「それでも駄目だ」
シルヴェスターは断固としてはねつける。
「私がエニグマを離反したのは、まさに彼らがトリアを対ABYSS用の人間兵器として扱おうとしたからだ。人としての尊厳を踏みにじる行為は、どんな理由があっても正当化できない」
彼はトリアの方を振り向いた。
その表情は先ほどの怒りから一転、深い愛情に満ちている。
「トリア、お前の中には確かにクララの魂が宿っている。だからと言って、お前がクララになる必要はないのだ。お前にはクララとは違う、トリアとしての人生がある」
シルヴェスターは静かに、しかし強い意志を込めて続けた。
「エニグマは世界の平和という大義の下に、一人の少女の人生を道具として扱おうとした。今、私たちは何をしようとしている? シャドウベインを止めるという大義の下に、またしても彼女を犠牲にしようというのか?」
3. トリアの決意
大人たちが声を荒げて言い争う中、トリアは自分の鼓動が耳に響くのを感じていた。
周りの議論が次第に遠ざかっていく。
まるで、時間の流れだけが彼女の周りで止まってしまったかのように。
彼女の小さな肩は微かに震え、握りしめた手に汗が滲んでいた。
幼い頃から、彼女は常に守られる存在だった。
シルヴェスターに、マキシマスに、そしてハロルドに。
だが今、その立場が変わろうとしている。
「私には、できることがあるはずです」
トリアの声は小さかったが、強い意志を秘めていた。
自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。
彼女はゆっくりと立ち上がり、深く息を吸って、胸の中の動揺を抑えようとした。
「シルヴェスターさんは、私のためにエニグマと戦ってくれました。ずっと、私を守り続けてくれました」
言葉を紡ぎながら、幼い頃の記憶が鮮やかに蘇る。
孤児院での穏やかな日々。
シルヴェスターが時折見せる、どこか寂しげな表情。
それらは全て、彼女を守るための代償だったのだと、今になって理解できた。
一瞬、声が詰まる。
目に涙が浮かんだが、すぐに拭った。
今は、弱さを見せている場合ではない。
「でも、今は違います」
恐れを超え、彼女の中に使命という新たな感情が芽生え始めていく。
「私は逃げているだけの存在じゃありません」
窓の外で街灯が瞬く。
その光が彼女の横顔を照らす中、トリアは両手を胸の前で組んだ。
心臓の鼓動を確かめるように。
そこには確かに、クララの魂が宿っている。
しかし、それは彼女自身でもあるのだ。
クララの魂を受け継いではいても、この身体も、この心も、私自身のものだ
「確かに怖いです」
正直に認めることで、逆に気持ちが落ち着いてくる。
「この力が何なのか、私にはまだよく分からない。でも――」
彼女は顔を上げ、部屋にいる全員の目を見つめた。
シルヴェスターの心配そうな表情。
ユージーンの驚きの眼差し。
マキシマスの温かな微笑み。
その全てを受け止めながら、彼女の決意は固まっていった。
「でも、この力は私のものです」
その言葉には、不思議な確信があった。
まるで長い間探していた答えが、ようやく見つかったかのように。
「クララさんの魂を受け継いだのは私。だから、この力の使い方を決めるのも私です」
シルヴェスターが息を呑むのが聞こえた。
彼の表情には驚きと共に深い感銘の色、そして何か懐かしいものを見る時のような感情が浮かんでいた。
「私は、自分の意志で選びます」
トリアは続けた。
声が少し震えていたが、その瞳は揺るぎない決意を湛えていた。
「守られるだけの存在から、守る側の存在へ。それが、私の選ぶ道です」
蛍光灯の光が彼女の周りで揺らめき、まるで彼女を包み込むオーラのように見えた。
トリアの中で、恐れは完全には消えていなかった。
しかし今、その恐れは彼女を縛るものではなく、より慎重に、より賢明に行動するための警告として存在していた。
彼女の決意は、もはや後戻りのできないものになっていた。
それは恐ろしいことでもあったが、同時に不思議な解放感も伴っていた。
自分で選択をするということ。
その責任の重さと、自由の喜びを、彼女は初めて真摯に受け止めていた。