アルゼンチンロックの旅1983年

Hola!

アルゼンチンロックの旅は1983年。1983年の12月にとうとうアルゼンチンは軍事政権から民主主義政権へ。ラウル・アルフォンシンが大統領に就任。その後すぐに「全国失踪者調査委員会」なるものができて、軍事政権が行ったおびただしい数の人権侵害の具体的事例を報告書にまとめた。
しかし、経済的には軍事政権のときに累積した債務超過による財政不安とインフレは依然として慢性化していて、経済不安はさらに厳しくなっていった。

さて、1983年。僕の大好きなロックバンドU2は「War 」をリリース。これからビッグになるR.E.M.とメタリカがデビュー。そして、マドンナもデビュー。
売れ線のアーティストと、後にオルタナティブロックの原型を作っていくアーティストとが混在してきた年。

アルゼンチンロックもここから新世代が結構出てきます。若手はニューウェーブやポストパンクの影響が強いものが多いです。これからはスピネッタやチャーリーもニューウェーブ・ポストパンクの影響を受けます。
新たな時代の幕開けです。

①charly garcia / vivo in LUNA PARK

ソロになったチャーリーガルシア。このライブはアルゼンチンの民主主義回復(1983 年 12 月 10 日)の数日後に行われたもののようで、バックには数年後にはスーパースターになるFito paezまでがいます。
またサックスも2人いて、とてもいい味を出してます。これからのチャーリーガルシアのソロアルバムはこんな感じの音。まだまだスター街道をどんどん上がっていきます。

②charly garcia / modern clix

そして、この年のオリジナルアルバムはこれ。アルゼンチンロックの超名盤の一つ。このアルバムをXで投稿したときにアルゼンチンの方からすごい量の文章(解説)が返信されました。それだけ愛されている名盤なんだなと改めて思いました。ちょっと端折りながらまとめて書かせていただきます。Gracias!

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独裁政権下では、失踪はよくあることでした。つまり、軍事政権に誘拐され、二度と姿を現さなくなるのです。軍事政権は、知り合いや、あなたについて尋ねた人すべてを誘拐しました。こうした失踪者の多くは、黒いシルエットの落書きを書いていったそうです。
偶然にも、チャーリーはニューヨークで似たような落書きに遭遇し、そこからアルバムカバーが生まれたそうです。独裁政権の最後の瞬間に、彼はアメリカに行き、このアルバムをプロデュースしました。後に彼自身がキャリア最高のアルバムだと言っているそうです。

彼はアルバムのレコーディングのために、ジミ・ヘンドリックスが作った伝説のスタジオ「エレクトリック・レディ」を訪れました。プロデュースは、プリンス、ラモーンズ、クラッシュと仕事をしたジョー・ブレイニーが担当しました。ペドロ・アスナールがベースとTR-808を演奏しました。TR-808とはリズムをプログラムする最初のマシンの1つです。

このアルバムは、軍が民主政府に権力を委譲してからわずか 5 日後に、ルナ パークで (若きフィト パエスの伴奏で) 発表されました。このアルバムは、事実上、この新しい民主国家の非公式な国歌であり、歌詞にもそれが反映されています。

最初の曲「Nos siguen pegando abajo (Pecado mortal」は、検閲と、すべてが犯罪であるかのように生きること、灰色の服を着た男たちが現れるかもしれないと常に後ろを振り返る経験について歌っています。言い換えれば、この曲は政府の手先であり、政府が国の支配に対する脅威とみなすものを排除し、あなたやあなたの知り合いを殴っている間何もできないというフラストレーションを解消していた。

2曲目「No soy un extraño」は、アルゼンチンでは経験できない全く価値観の異なるニューヨークでの彼の経験についての歌であり、彼は2人の男性がタンゴを踊っているのを見て、自由で開かれた同性愛の愛が生まれていることに衝撃を受けたみたいです。そして、それはある意味、それは適応の難しさについてのことです。この新しい価値観に適応するのは難しいですが、喜びは新しいものを受け入れることにあります。繰り返しではなく変化、外側は古いもの、内側は新しいものを受け入れることが大事ということです。

3曲目の「dos, cero, uno」は、ファッション会社Fioruchiのスポンサーを受けて高額なコンサートの費用を賄った後、チャーリーが商業的な利益のために芸術的誠実さを売り渡したという批判に対する返答の歌でした。歌詞は観客の視点から語られ、チャーリーがいかにして裏切ったか、そして結局のところ彼が抗議をやめないことを皆が知っていることについて歌ってます(ビデオでは、彼は段ボールでできたブエノスアイレスがロケット弾で爆撃されていると歌っている)。

4曲目の「Nuevos trapos」は、私たち全員が同じ状況にあるという歌詞で、「私はあなたより優れていない、あなたは私より優れていない」という歌詞がそれを表しています。地位やお金は関係なく、私たちは皆同じ状況にあります。同じ状況にあり、愛で結ばれている。お互いに敵対する理由はないということです。そして、戦争の時代を生きた人なら誰でも、510年でも2000年でも例外なく戦争がいかに無意味であるかを知っているということも歌っています。

5曲目の「Bancate ese defecto」は、ありのままの自分を受け入れ、自分は変人であろうが、鼻が顔に合っていなくてもそれを認めること。出る杭は打たれると考えても意味がなく、何の成果も生まない。不可能な期待を抱くプラスチック人形にならないでください。自分らしく、自分の可能性を最大限に発揮してくださいと歌ってます。

6曲目の「No me dejan salir」のバックのノイズはジェームス・ブラウンのサンプルで、ラテンアメリカのロックだけでなくラテンアメリカ音楽の時代に使用された最初のサンプルです。

7曲目の「Los dinosaurios」は、行方不明者の悲劇についてです。家族、友人、子供、指導者、ラジオ歌手、愛する人がいつでも消えてしまう可能性がありましたが、希望を持って終わりましょう。恐竜(軍事)は消滅するだろうと歌ってます。

8曲目の「Plateado sobre plateado (Huellas en el mar)」はアルバムの中で最も詩的な曲で、解釈の余地も大きいので、ここではタイトルと曲の雰囲気についてCharlyが語ったことをお伝えします。
「海に残った足跡を見たことがありますか? いいえ、存在しないからです。でもほんの一瞬の内には存在します。とても小さいのです。この歌の意味は、すべてがとても速く起こるということです。なぜ私たちはここに来るためにこんなに遠くまで行かなければならないのでしょうか。私たちの夢、私たちの成果の場所」

最後の曲「Ojos de video tape」は、人生は一度きりで、それを見なければ見逃してしまうということについて歌ったものです。

このアルバムはスピネッタの「Artaud」に次ぐアルゼンチンのロックアルバムとして一般的に考えられていますが、これが最高だと主張する人もいます。

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以上です。Google翻訳を少し僕が修正して書きました。このアルバムのこんな詳しい解説は他には無いのではないでしょうか?ありがたいです。Gracias!

③pat metheny group / first circle

さて、引き続き1983年。pedro aznarはパットメセニー先生のところへ弟子入り。ベースも素晴らしいが歌声も素晴らしいです。南米代表として誇り高い活躍をしてます。彼がここで学んだことはきっとソロにも大いに影響していることでしょう。
ちなみにチャーリーとはニューヨークで会ったみたいですねー(^^)

④Spinetta Jade / Bajo Belgrano

さて、その頃スピネッタは。。。
まずspinetta jadeにて新譜を発売。
メンバーが変わって、ベースがCésar Franovへ(アレハンドロ・フラノフの兄!)。あとキーボードが一人脱退し、4人体制に。

KAMIKAZEはソロで浮遊感のあるフォークだったが、こちらはバンドサウンド。しかし、キーボードが減ったからなのか、ジャズ要素が減り、何というか…ふつうのポップソング集になってます。

⑤Luis Alberto Spinetta / Mondo di cromo

こちらは同日リリースだったそうです。ソロアルバム。David lebonやpomo、machiと共に演奏。こちらもジャズの影響は少なく、割と地味な作品になるのかもしれません。。。

⑥Virus / Agujero interior

さて、新世代を少しだけ。こちらはVirusというバンド。ニューウェーブサウンドでカッコいいです。チャーリーガルシアのこの時代の音楽と共振しているのがいいですよね。

⑦RIFF / EN ACCION

最後はRIFFで気持ちよく終わりましょう!

うん、最高!このアルバムはライブアルバムで観客の声とかギターとか最高!
うん、最高!

最高〜!🎵

さて(笑)、1983年はここまで!新世代がどんどん登場してきます。

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