アルゼンチンロックの旅、アルゼンチンの歴史
こんにちは。それでは、アルゼンチンの歴史について簡単に書きます。専門家じゃないので詳しくは分かりません。ですが、僕は「アルゼンチンロックの旅」を読んでもらうにあたって、ある程度は知っていた方がいいと思ってます。関係ないって人の気持ちも分からなくもないですが(ある意味ではそれが一番音楽だけと向かい合うことになるから)、アルゼンチンという国も他の国と同様、いろんな政治や戦争のトピックがあります。それと音楽は繋がってます。
では、簡単に書きます。
<アルゼンチンの歴史>
1492年 コロンブス アメリカ発見
とりあえずはここから。先住民が殺されて、スペイン人がアルゼンチン付近に進出します。
1776年 リオ・デ・ラ・プラタ副王領
現在のアルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ボリビア南部に植民地ができる。
ブエノスアイレスが首都に。スペインとの貿易始まる。
1816年 アルゼンチン独立
五月革命。しかし、なかなか政権が不安定
19世紀後半から20世紀にかけて、アルゼンチンにヨーロッパから300万人を超える移民が流入。イタリア人系が増える。
パンパ(大平原)による牛肉や小麦の大量生産。冷凍技術の革新により、どんどん輸出。そして、世界有数の富裕国へ。
「南米のパリ」と呼ばれるようになる。
この辺でタンゴが流行。
1929年 世界恐慌
アルゼンチンの黄金時代が終了。政治も経済も不安定に。
1943-1955年 ペロン政権
妻エビータと共にポピュリズム的な政策をする。労働者保護の政策。人気の影には、反政府の人を強制収容所に送るなど悪質なものが。
1955-1973年 ペロン亡命
軍事クーデターが繰り返される。オンガニア将軍の政権へ。軍部とペロニスタの抗争が激化。
この頃、アルゼンチンロックが生まれる。
1973-1976年 ペロン政権
軍部に勝利し、ペロン政権再び。でも、すぐに病死してしまう。
1976年-1983年 軍事独裁政権
ペロン政権崩壊後、また軍部に政権を奪われる。この頃を汚い戦争といい、人が消されたり、拷問されたりかなりアルゼンチンは大変なことに。最終的にはイギリスとマルビナス戦争になり敗戦。再び民主主義へ。
この後も政治・経済共にあまりいい状態では無いように思います。そんな中、2023年にはミレイ大統領になり、トランプ大統領のようによくも悪くも強引に引っ張っていく政権へ。これからどうなるのやら。
簡単に書きましたが、専門家ではないので、違ったこともあるかもしれません。しかし、なんとなく不安定さは伝わったかと思います。
あと、アルゼンチン人の民族の割合ですが、スペイン人が多そうに思われるかもしれませんが、イタリア系が60%程で一番多い。次いでスペイン系、あとは少数派が先住民、混血系となります。つまり、アルゼンチンは他の南米の国と違い、黒人は少ない。こちらもアルゼンチンロックに影響があると思います。あとイタリアの音楽の影響も大きいように思えます。
さて、次回からは音楽の話を!
こんな感じの国で起きたアルゼンチンロック。国の不安定さに負けない、あのサッカーで熱くなるアルゼンチン人のあの熱狂がロックへ向かいます。