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知覧特攻平和会館

今日、平和な日本があるのは紛れもなく、
特攻隊としてたくさんの若い命が散って逝かれたこと、戦争の経験が無い私自身が見て感じたこと、全ての戦没者に敬意を表し、ここに記録しておきたいと思います。

2024年11月6日(水)JAL7:45札幌発 羽田経由で11:55鹿児島空港に到着し、そこからレンタカーで知覧特攻平和会館に向かうことにしました。
鹿児島空港から知覧特攻平和会館までの距離は、車で約70kmの1時間30分程度で、ハイウェイを使用せずゆっくり向かうことにしました。

朝7:14 新千歳空港
機内から見た 桜島

なぜ、この地に訪れたくなったのか?
映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』『永遠の0』を観たのもありますが、なぜそうなったのか?なぜそうしなければならなかったのか?既に、自然と知覧に足が向かう計画を立てていました。
日本人として生まれた方々はぜひとも目で見て感じていただきたいと思います。
今からおよそ約80年前の日本が現在の日本と比べ想像もつかないことが起こっていた太平洋戦争。二度とあってはならない、起こしてはならない、この世の中から戦争が無くなって欲しいと誰もが思うのでは無いでしょうか。
そして、特攻隊の若者達はどんな思いや覚悟で志願したのか、遺書、手紙などに目を通したところでその当人にしかわからないだろうと思います。もちろん、遺書や手紙などを見ていると自然と涙が出てしまいますが、これを美化してはいけないと思ったり、色々な感情が入り乱れ私は言葉ではうまく表現ができませんが、思うことを綴りたいと思います。
特攻隊に関する書籍を幾つか読みましたが、当時の首脳陣は責任を取らない作戦を幾つか挙げ、
(※現代日本でもそう感じる部分があるのかなと感じます)
その一つが、神風特別攻撃隊だと言われています。
その他にも不道理な特攻兵器の桜花回天など今では考えられないことが起きていたこと、
日本が戦争をしてきた過去に目を背けず、なぜ、現在の日本が美しい国になっていったのかを理解することが大切だと思います。

零戦

まず、特攻平和会館に入る前に目に飛び込んでくるのは零戦が外周に展示されています。
零式艦上戦闘機(略式:零戦)
を見ることができます。
※館内は殆どが撮影禁止(※一部を除き)となっておりました

特攻勇士の像
知覧特攻平和観音堂入口
特攻平和観音堂

以下は、館内に展示されている零戦で唯一、撮影OKのところです。

この地を訪れて、
なんのために?
なんのために命を投げたのですか?
最後に館内を見終えるころには、悲しみよりも凄く怖さが増してしまい早くここから出たい気持ちになってしまいましたが、あらためてしっかり目を向け、様々な角度、視点、個々の考え方や見方があるので私自身ではわかりませんが、この戦争があった事実を知り、次世代に継ぐことが1番大切だと思います。

綺麗な桜島

翌朝の帰路で晴れた桜島を撮ることができました。
また機会があったり、なにかに迷ったときは知覧を訪れたいと思います。

長々と一読、ありがとうございました。

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