「純潔は来世まで」第3話
「第3話 漂流と滞留」
本文
あの世に行ってしばらくたったある日の休憩時間。ふとテルシさんのことが気になった。
あたしは前職と違って、クレームや汚い人間関係もない。だけど、テルシさんは役所務めだ。
いざこざやクレーム対応で心が疲弊しているに違いない。
交換してもらった連絡先にお疲れ様です。元気ですか。と入れると数時間後返信があった。
「辛いです。」
これは一大事だ。電話で話を聞こうと思いあたしは彼と通話する約束をした。
週末の夜、晩御飯を食べ終えたあたしはテルシさんに電話をかけた。
テルシさんはどうやらお酒を飲んでいるらしい。酔っぱらったような声が聞こえてきた。
「どうもっす。テルシです~」
「ミスイです。最近大丈夫ですか。」
「いや~、仕事に疲れすぎてしんどいです笑。お酒だけが味方ですよ~。」
あたしはその気持ちを知っていた。生前はお酒だけが生きる糧になっているような激務の日々だったからだ。
だけど、お酒だけじゃ心は晴れないのも知っている。
「あの、海行きませんか。」
あたしの口からとっさに出た言葉はテルシさんをも驚かせた。
「え、良いんすかミスイさん。てか、人のこと誘うんですね笑。意外。」
「あたしもよくわかんないけど誘っちゃったよ。あの世の海見たいし。」
「あはは。じゃ、行きますか。」
こうして急ではあるが明後日テルシさんと海へ行くことになった。
あの世の海のことだ。きっと、この世みたいにごみとパリピなんて概念は無く静かで綺麗なんだろうと思う。
と、ここで事の重大さに気づいた。
待って、あたし成人男性をデートに誘ったってこと?
顔が真っ赤になった。やるじゃんあたし。
けどすぐに冷静になる。
「何着てこう…。」
いや、待て待て。おばさんが張り切っているだけの状況はみっともない。
けど、あたしはクローゼットを眺める。
あの世にきてしばらくたったが、デートに着ていく服が無い。
しかも誰に相談すれば良いのだろう。とりあえず明日は服を買いに行こう。
次の日、あたしはショッピングモールに来た。店員さんに勧められるままワンピースやサンダル、カバンなどを購入した。
店員の女の人がにこにこと言う。
「デートですか?」
「ええ、まあ。」
ええまあってなんだよあたし。
海に合うのって籠カバンかな。品物をそろえたあたしはわくわくしてたまらなかった。
これがウタコのいう「デート前の準備」か。
自分はもう若くないけれど、これを学生時代から味わいたかったものだ。
当日、電車に揺られ海へ向かった。服屋のお姉さん曰くあの世の海は年中過ごしやすくデートにぴったりな店も沢山あるのだという。
電車を降りると、潮風を感じた。一面の砂浜と海。綺麗な沖縄の海のようだった。
テルシさんと約束の時間まであと10分。ちょうどいい時間に来るのが得意なあたしさすがだ。
「あ、ミスイさんだ。今日可愛いっすね。」
駅の改札を出たところでテルシさんが待っていた。
急に褒めるな青年よ。恥ずかしいだろうが。
ニコニコと笑顔を浮かべるテルシさん。爽やかな色合いのシャツを着ているせいかいつもより若々しい。
こうして彼とのデート?が始まった。
「潮風気持ちい~。ミスイさん、知ってますか?あの世の海ってこの世からの手紙が漂流するんですよ。」
「そうなんですね。手紙か~。探してみたいかも。」
子どもっぽいなと思いつつ、この世からの漂流物を探す。
しばらく砂浜を歩いていると、成人女性の手のひら位の瓶が見つかった。
「あ!ありましたよ、テルシさん!」
思わず二人で顔を見合わせた。
さっそく瓶の中の手紙を読んでいく。
「てんごくのママへ。…」
手紙の内容は小学生の女の子が書いたがんで急死した母親への手紙だった。
リツは元気です。ママの言っていたご飯の支度を手伝うことやお勉強を頑張っていることを天国から見ていてください。などのような健気なことが拙い字で一生懸命書いてあった。
「ねえ、これママに届けられないのかな。…テルシさん?」
いつの間にかぼうっとしているテルシさんを呼ぶと、彼はいつもの元気な顔に戻った。
「……ああ、そうですね!」
一瞬の沈黙の後、テルシさんは続ける。
「お腹空きませんか?なんか食いましょうよ。」
確かにそろそろ昼時だ。あたしたちは海辺のレストランに入った。
休日ということで、あの世の店も大繁盛している。
「この潮騒のパスタってなんかおいしそう。テルシさんは何にしますか?」
手書きのメニューを眺め、テルシさんに話しかける。メニュー名も凝ってていいなと思う。
「俺は、夕凪の和風ハンバーグにします。」
こうして2人でご飯を楽しんでいると、テルシさんが思い出したように話した。
「そういえば、ミスイさん。あの世に来て日が浅いですけど、彼氏候補って出来ました?」
「そんな簡単に見つかるわけないよ。」
思わず笑うとテルシさんも笑った。
「はは。んー、恋愛って難しいですよねえ。」
「テルシさんこそ、あの世で長いんでしょ?彼女とかいないんですか?」
「俺はそういうの興味ないんで笑。あ、ミスイさん。デザートに星屑のピザとかどうですか。」
「主食じゃん。」
テルシさんの冗談にふきだすあたし。こんなに楽しい時間はいつぶりだろう。
死んでから色々経験することが多いけれど、案外死んでからも人生なのかもしれない。
昼食の後、2人でお土産屋さんを見て回った。
「これいいんじゃないですか。海の色のクマちゃん。」
テルシさんがクマのキーホルダーを見せてきた。
「趣味じゃないけど、たまにはいいかも。買おっかな。」
「ひとこと多いんですよ。ミスイさん。」
あたしはその日の思い出にクマのキーホルダーを買った。
そういえば、テルシさんを元気づけるための海だったのに元気になっているのはあたしの方だ。
このクマもどうせ来世には持っていけないけれど、なんだか今日みたいな良い日には思い出を残したかった。
その日の別れ際、あたしはテルシさんに聞いた。
「あの、元気出ましたか?」
「もちろんですよミスイさん。俺、また頑張りますね!」
ありがとうございますと言う彼の笑顔はいつも通りまぶしかった。
良かった。こんなあたしでも誰かの役に立てていると思うと何だか誇らしい。
テルシさんと別れ、帰宅する。
例のクマはベッドの脇のアクセサリースタンドにかけることにした。
そうか、誰かといるのも、時間を積み重ねるのも悪くないな。そう思えた1日だった。
休み明け、職場に行くとあたしに気づいたケイコさんが書類を慌てて隠した。
何だろう。サプライズの計画かな。
のんきに考えていたあたしの思考回路は数秒後に停止した。
カサッ。
ケイコさんが不意に落とした1枚の紙が目に入ったのだ。
「罪人 豊島ケイコ 残刑(ざんけい)180年」
沢山の細かい字で書かれている紙には確かにそう書いてあった。
「あーあ。見られちゃったか。」
思わず背筋が凍る。
温かいはずのケイコさんの声が冷たくなるのを感じた。
背後のケイコさんのことを振り返ることが出来ない。
罪人…。犯罪者ってこと?
嘘だ。見間違いだよね。
思考が追い付かないあたしを見て、ケイコさんが続ける。
「今日の店は休みましょう。ミスイちゃん。事務所に来て?」
ひんやりとした声からいつもの声に戻り、ケイコさんは臨時休業の札を出して、あたしを事務所へと案内した。
いつもは明るい事務所の蛍光灯が冷たく、まるでドラマの取調室のような感覚だった。
話を切り出したのはケイコさんだった。
「あのね、隠していたわけじゃないの。ごめんね、驚いたでしょ?」
ケイコさんの顔はいつもより真剣だった。ケイコさんは続ける。
「あの世には死んだ人が来るでしょ?私も死んだからここへ来たの。でもね、私は罪を犯したから償わなくちゃいけないのよ。」
「あれは、戦争が終わったころだったわ。当時14歳の私は食べるものに困っていて、いつも盗みを働いていたの。そしてある日、年老いたおばあさんをだまして食べものを奪ったの。それに気づいたおばあさんに問い詰められてね…」
「私は…自分が生きることに必死だったから。おばあさんをはねのけたの。」
「その拍子にたまたま傍を通ったアメリカ軍の車がおばあさんを轢いたのよ。」
「その後、戦争なんて跡形もない平和な日本を生きてあたしは往生したわ。」
「だけどね。私がおばあさんを殺した瞬間が頭から離れないのよ。」
ごめんなさいと小さくつぶやいたケイコさんはそれ以上自分のことは言わなかった。
何といえばいいのか分からない。優しいケイコさんの過去が血塗られたものだったことに頭の理解が追い付かない。
そして考えたくもないが、ケイコさん曰くあの世に残って長期間働いている人のほとんどが罪人なのだと言う。
じゃあ、テルシさんは?彼の罪は何なんだろう。
いやまだ決まったわけじゃない。信じたくないし、聞きたくもない。
けれど、確かめないうちは気が済まなかった。
もしかしたら、ただ目的があってあの世にとどまっているだけかもしれないし。
そうだよ。きっと。あんないい子が罪人なわけがない。
数日後の夜、覚悟を決めたあたしは飲み会を口実にテルシさんを呼び出した。
居酒屋で合流後、お酒を片手にほろ酔いのテルシさんにあたしは回りくどく切り出した。
「そういえば、あの世って地獄とかないんですね。」
すると、何かを察したテルシさんは酔いが覚めたように言う。
「なにが…言いたいんですか?」
しばらく黙り込んだ後、テルシさんが困ったように笑いながら言う。
「ああ、あの世の仕組みに気づいたんですね。」
「あの世って、俺たち罪人の期限付きの労働で回ってるんですよ。たまに、転生までの期間働くミスイさんみたいな人がいますけどね。」
「テルシさんはどうして…どうして罪人になったんですか?」
「殺したんですよ。…かーちゃん。」
色のない目で、無表情の彼の口からはそれ以上の言葉は出てこなかった。
長い沈黙の間。グラスの底で溶けかけた氷がカランと音を立てて沈んでいった。