迷いながら、それでも書く
昨日のライター初仕事の文章を書きながら、もやもやがあった。
何回書き直してもなんだかしっくりこない。
うまく言えないのだけど「頭の中がごちゃごちゃしている人の文章だなあ」という感じ。
誰に何を伝えたくて書いている文章なのか、自分でもわからず書いているからだと思う。
ここ2~3年の間に結婚、退職、出産、育児、とわたしの人生のステージには大きな変化があった。
楽しくて幸せなことも、漠然とした不安も、抱えたまま今もその渦中にいる。
そして今年になって感じるようじなったのは、話すことや書くことが下手になったなぁ、ということ。
金融機関で仕事をしていた頃は、毎日頭をフル稼働している時間があって、プレゼンやミーティング、企画書作成、ビジネスメールに問い合わせ対応など、日々の業務の中で話したり書いたりすることは日常だった。
子どもが産まれてからのこの1年、一日のほとんどの時間をまだ言葉を話せない息子と二人きりで過ごす。
もちろん愛する我が子との時間は尊く幸せではあるのだが、仕事をしていた時のように「オン」の自分になることがほとんどなく、頭が劣化していっているのではと不安になる。
(育児では脳みその全然違う部分を使っている感じ)
久しぶりに友人と話すと本当によく感じる。
論理的に話したり、簡潔にまとめたりすることが、なんだか下手になっているような・・・?
今までの自分は、なんとなく人よりも書いたり話したりすることが得意だと思っていたし、どちらかと言うと好きだった。
言葉にして話すとスッキリして気持ちよかったし、書くことで整理もできた。
だけど最近は、話していても書いていても、なんだかもやもやする。
そして、新しくライターとしてブログ記事を書く仕事を始めてからも戸惑うことがあった。
その案件では、調べた情報プラス、なるべく個人の感想や意見をふんだんに盛り込んで欲しいとのことだった。
文字数は最低2,000字で、多ければ多いほど良い、と。
ブログ記事なので、フランクな文章で良いのは楽でもあるのだが、今回は文字数を増やすという意識を持ちながら書くことになる。
そして気付いたのだが、今まで「なるべく膨らませて書く」ということをあまりしたことがなかった。
わたしのいたビジネスシーンではいかに短く簡潔に伝えるか、というのが基本だったのだ。
文字数は多いほど良いと言われたものの、ダラダラと間延びするくどい文章ではいけないし、意外とバランス感覚が必要だと思った。
仕事によって文字数や文章のテイストの指定は当然あるだろうし、膨らませて楽しませる能力も、簡潔にわかりやすくまとめる能力も、どちらも必要なのだろう。
自分にはどういうテイストのものが向いているのか、好きなのか、探りながら進んでいくしかないのだと思う。
クライアントがどんな文章を求めているのか、きちんと把握するためのコミュニケーション能力や理解力が一番大切なのかもしれない。
今日のこのnoteも、今までは「です・ます調」で書いていたのをあえて「だ・である調」で書いてみた。
本来は統一すべきなのだろうが、まだ自分のしっくりくるスタイルがわからない。
書いては消して、書いては消して、迷ったり、納得のいかないことはこれからもたくさんあると思う。
それでも書く、その姿勢を持ち続けられることが、ライターを続けられている人たちの才能なのかもしれない。