神戸市看護大学 阪神・淡路大震災30年シンポジウム「災害にいきる”看護のチカラ”」2/2@神戸市看護大学ホール

https://jocr.jp/event/kangonochikara/

一般枠で参加させていただきました。

2部構成でめぐさんが登壇したのは
第1部「青春ラジメニア presents
『看護は”みんなのハートフルステーション”』」と第2部最後の挨拶。

出演経緯については公式を参照ください。
以下、公式から引用↓
声優であり看護師資格を持つ林原めぐみさんは、当時担当していたラジオ番組『林原めぐみのハートフルステーション』で、被災地・神戸に特別の思いをもって、毎週、被災者・リスナーを励まし続けたことでも知られており、今回、大震災や神戸への思い、看護職を目指す若者へのエールをお話しいただきます。
引用ここまで↑

司会:南かおりさん、ワタナベフラワー マサさん
の進行のもと、参加者からの事前質問などを
交えながらめぐさんのお話がありました。

今回、会場の雰囲気がわからなくて無謀にもメモなしで参加したので時系列整理を諦めました。
もう、家の壁にダーツ刺す勢いで匙を投げた🥄

書くか迷ったけど
現場行ったらどうしても自分が感じたことを
書き出しておかないと禁断症状が出そうなので🖋


※2/18(火)18:00〜19:30
ラジオ関西にて当日の様子が放送されます。
もう本当に素晴らしいシンポジウムだったから
是非聴いてください。
https://jocr.jp/radimenia/20250202134709/


〜第1部〜
「今日は楽しんでください!」
司会のお二人のこの掛け声に本当に安心しました。だってテーマがテーマだったから。
形式もシンポジウムだし。

冒頭のそのほぐしはとてもありがたかった。

早速第1部の特別ゲストとして

白衣の天使
 めぐさんが登場。
足元まで白い衣装に白い靴。
マジで、いや本当にまじめに私の位置からだと
いい具合にボヤけてて、ナース服かと見間違えてiPhoneの連写より高速瞬きする女が爆誕した。

表情とか特に見えなくて
医龍のなんかのオペシーンで朝田先生がぼやける視界を人体イメージと重ねて脳内で鮮明にするみたいな作業をひたすらやってました(伝われ)

オペラを持ってこなかった自分を相当恨んだよね…

未来の自分に言いたい。

オペラが手元にないとね、

その衣装どうなってるの!?
今日の指先は!?指輪はいつもの位置!?
いまどこ見て笑ってるの!?
マイクの持ち替え相変わらず上手いな!
その前垂れの名前のフォントはMS明朝ですか!?


って立ち上がって叫びそうになるから危険です。
私にまだ理性が残ってて良かった。


司会の二人にお願いされつつ
「看護はみんなのハートフルステーション!」のタイトルコールで「虹色のスニーカー」がかかり、会場から拍手。


めぐさん
「昨日、ルミナリエ(https://kobe-luminarie.jp/)にも行った。今日(2日)までなんでしょ?
イルミネーションも普通とは少し違う、音楽も聖歌が流れたりしていて。神戸牛も食べた。」
など、前日入りして神戸の街を一足先に堪能していたことを話してた。


いつもの時系列メモが今回はないので、ここからは思い出せたものをつらつら書いてます。

※話していた内容やタイミング、言い回しが違うところが色々あると思います。
修正補完ウェルカムです。


☆神戸、関西との縁について
ラジオ関西でハートフルステーションというラジオ番組を24年やっていた。今日のシンポジウムの関係者にご挨拶をしていたら「聴いていました」という方もいらっしゃって嬉しかった。

☆神戸のどんなところが魅力?
山や海があって、、、駅から降り立った時にすっと息を吸い込むと懐かしい。
大阪の面白さや京都のはんなりとはまた違う、同じ関西弁だけど一歩柔らかい人の雰囲気を感じる。
→南さんから「港町だからおもてなしの雰囲気があるのかも」と言われると「なるほどね」と。
お仕事で関わったりしていくうちにどっぷりと 魅力に浸かっていった。

☆看護師を目指そうと思ったきっかけ
昭和一桁代生まれの母が敷いた小中高短大?までストレートに進むレールを疑いなく進んでいたところに、中学2年の時、父が半睡不随に。
専業主婦だった母が働きに出て「資格があれば」と言っていた言葉が印象的だった。

はじめは父のリハビリを見て理学療法士を考えたが「身体の大きな人を抱えたりしないといけないよ、めぐちゃん大変じゃない?」と言われ
手先の細かい手指動作?の指導をする作業療法士もいいかなと気持ちが行ったり来たり。
そのうち、担当看護師さんの様子を見たりするうちに看護師に興味をもった。
看護学校の同期の中には看護師長にまでなった人もいる。

高校で理系か文系か選択を迫られて、(高校で選ばなきゃいけないのは早いと思うんだけどね、と言いつつ)、看護受験に不要な難しい数学を間違えて取ったせいで推薦が取れなかった。
5つの学校を受験して2つ完全落ち、一つ補欠、2つ合格。その中の1つに進学。
入学してから本の厚さ、量に圧倒された。
入試より入学後の試験の方が大変と思う。落とすような試験ではないけど。

☆看護学校時代の思い出
悪口になるけど"良いDr.が良いteacherとは限らない"なと。講義をしてくれる内科の先生の声が小っちぇ!!
会場笑→会場の学生さん達も頷いていた?みたい。

何か権威のある先生の講義で
「(ボソボソと)、、、、、が大事なんです」
え!?どこが大事だったの!?みたいな笑

☆印象に残っている講義は上野正彦先生。「死体は語る」などの著者で有名。

監察医で授業は毎回全てスライドだった。
その内容は門外不出の事件の資料ばかりで具合が悪くなって外に出る学生もいた。
(単位は関係ないから出たい人は出ていいよ、と)
先生は殺人で亡くなった方の死因を見るだけでなく、殺人を犯した人の心理、なぜそうなったのか背景など「死」をいろんな方面から捉えて「死から生を考える」という考え方の人だった。多角的な物の見方を学んだ。
解剖学の授業だったが、授業用の本は一ページも開かなかった。
上野先生の名前を是非検索してみて。

実はこの経験が名探偵コナンの役柄にも活きている。
→めぐさんの口から登場する「名探偵コナン」大好き。

☆看護師の仕事について
過度にマニュアル化されてはいけない仕事だと思う。
どうしても大変さに追われると思うが、心身が削られて看護する側なのに看護される側になりかねない仕事。
いつもそうするのは難しくても、心のどこかで"人が相手"ということを持っておくと、それがいつかやりがいに繋がったりするのではないかと。

☆看護と声優の仕事 共通点
どこかの社長さんの担当看護をした際、なかなか薬を飲まず「得体の知れない薬は飲まない!」という人だった。
当時はスマホもなく、看護師が薬の本をコピーして渡して説明して自分が納得したものだけを飲むと言う人だった。
→じじぃ...って言いかけて止めようとしてたけどじじいって言っちゃってた(爆笑)

一方、小児病棟で走り回る子がいる中、ある子どもは「ボクは蛋白が多いから走っちゃダメなんだよ」と既に自分の病気を受け入れている子もいた。
「大人や子どもは年齢だけじゃない。大人は
包容力が必要だし、自分の病気を受け入れているその子はその空間の中で誰よりも大人なんだよ」と。

"年だけ寄り"にならないこと!

声の仕事にも通じていて、大人から子どもまで
色んな役をするが、子どもっぽい声を出したから子ども、ではない。
そういった視点を患者さんから盗ませていただいた。

☆看護の勉強で心に残っていること
患者さん「ありがとう」と言われた言葉は今でも残っている。

とある末期患者さんのお風呂の入浴介助の話。
上司に本当にやるの?と言われながらタオルを敷いて入れたら
足の裏から垢がボロボロたくさん出てきた。
その時患者さんが「生き返った!」と言ってくれて、後に亡くなってしまったがその経験は覚えている。
病院という非日常から日常に戻る時のことを考えて、日常の生活を少しでも感じさせてあげることを意識していた。

☆看護を学んでいて良かったこと
まずは娘の出産時に沐浴介助がうまくて「2人目ですか!?」と驚かれた。耳抑えたりして。

看護ではカルテを見るけど、カルテで病状を見るだけでなくその人がどうして病気になったのか、その人の背景、状況を考える。

声優もキャラクターの設定資料をただ読むだけではない。書いてあることだけやると同じような声になる。
「泣く」にしても「なぜ泣いてるのか、何泣きなのか悔し泣き?お姉ちゃんとの関係性があるのか」など...
レイちゃんや哀ちゃんもどんな子なのか、原作者も考えないようなところまで考えて演じることで、結果それが原作者(監督って言ってたかも)に
影響を与えることがある。

現場で例えばポケモンで「行け!」と言う台詞の時に「今何に対して言った?」とディレクションが入る、みたいなことはよくある。

ポケモンに向かって言うのではなく、行く先がどこなのか、立ち向かう相手はどんな大きさの敵なのかなどをイメージする。声の大小ではない。

☆震災について
震災直後、ラジオの放送をどうしようか本当に悩んだ。
番組は「みなさんこんばんは、1週間のご無沙汰いかがお過ごしだったでしょうか」からスタートするが、その1週間が...

震災当時「なぜ安否確認にしなかったのか」と
批判のお手紙が沢山届いた。当時はSNSもなく。
それは蓋を開けると県外の被災していない方達からだった。
でも郵便事情が整って「ありがとう、ホッとした」「放送を聞いてやっと涙が出た」というお手紙が被災の当事者からたくさん届いた。
でも批判した人に「ほらみろ」とは1ミリも思わない。だってそれも被災地を想う愛だから。
「言葉は選べや!」と思うけどね笑

被災した方からの「偽善も集まれば善になる」という言葉に衝撃を受けた。
日本人は謙遜しがちだけどこういう時に「自分には何にも出来ないけど」とは言わないで。
震災以降、コンビニの一円募金でも何でもいいから自分にできることを投じようよ、と思うようになった。

☆会場からの質問
Q:言語聴覚士の方?からの質問(内容忘れちゃったごめんなさい)
A:頑張れと言っちゃいけないという風潮のある今の世の中。本当にそうかな?と思う。頑張れと言ってほしい人もいると思う。言霊もある。

これもマニュアル化して「こうあるべきだ!」ではなく、相手が今どういう状態なのか、声をかけるタイミングを考えることが大事。

SNSの誹謗中傷って極論だけど無くならないと思う。だってその人の正義だから。
でも自分はそうならないようにと思う。
SNSは特に言葉が残るので読み返せてしまう。

Q :看護師を目指す友人にどんな言葉をかけたらよい?
A:その子には頑張れ!と言って良いのでは笑
あとは友達にお世話にならないように自分自身が健康でいる。そういう気持ちで応援してみては。

☆看護師を目指す学生へのメッセージ
医療関係者の皆様には本当に感謝しかない。
本当に大変な仕事だと思うが、どうか皆さん、ご自分の時間も大切にしてほしい。

看護学生の時代、健常者の子どもを知ろうという実習で?保育園にも行っていた。
その時お迎えが一番遅いのが看護師さんだった。
保育園からすると遅いなとイラッとしたりするかもしれないが、看護の現場を見ると遅くまで申し送りをしている。どちらも責められないなと思った。

いっぱいいっぱいになる人はどうしても自分がやらなきゃ、と背負いがち。
周りの頼れる人を是非頼ってほしい。

看護のお仕事に関しては覚悟を決めてこの道にいらっしゃるはずなのでそれに関して自分から言うことは何もない。
ご自分もどうか大切にしてください。

※看護する側なのに看護される側に…の話はこの後だったかも。


☆放送に入らなそうな話
♪1曲目「Heartful Station」中のトーク♪
声優の仕事のはじまりについて
めぞん一刻は名前のない役を沢山やっていた。
"番レギュ"といって色んな役でその番組に出ている状態だった。
めぞん一刻(の収録?)がちょうど夕方だったので、看護学校に行きながら仕事ができた。
バカボンは平成天才バカボンの時のバカボンです。色んな方がなさっているので。


♪2曲目「Give a reason」中のトーク♪
エヴァとスレイヤーズはちょうど同時期の放送、収録で、私の中でレイちゃんとリナは双子みたいな、その間に自分がいるような感覚だった。
片方ばっかり構ってるともう片方が拗ねちゃう、みたいな。

また当時レイちゃんが好きと言って私のラジオを聴きに来たレイちゃんファンが「レイちゃんが喋ると思ったのに全然違う」とがっかりしたり笑
→南さん「もしレイちゃんだったらラジオになりませんからね!笑」

あとこれは鉄板ネタですけど
◯◯の建物?映画館?(名前言ってたけど忘れちゃった)のポスター?垂れ幕?で
エヴァンゲリオンのキャッチコピー「みんな死んでしまえばいいのに」と
庵野監督の師である宮崎駿さんのもののけ姫の
「生きろ」が同時に並んでいて
その真ん中にリナがいる、というすごい時代があった。スマホがなかったから写真が撮れなかったのが残念。

→この時のめぐさんが少し椅子に仰け反りながら「『アニメはどこに向かっていくんだろうなー』と思いました」みたいなこと言ってたのが面白かった笑

死の話題に関連してのご紹介だったみたい。



〜第2部〜
パネラーの先生方の紹介・発表が少しずつあったのち、パネルディスカッションへ。

被災現場での医療従事者としての体験、被災者としての体験、災害看護に取り組む上での心構え、看護職に関係のない自分にできることは?など
実体験を交えて貴重なお話や事前質問への回答がありました。

ここに全ては書ききれないけど
災害現場での命の選択
被災直後の何もない混乱期に仕事の垣根を超えて一人一人の知識や協力が支えになりとても助かったこと
災害は地域の総合力が不可欠であること
自助、公助などの言葉もこの頃から生まれたこと
看護は特別なものではなく、人の健康や生活を支え、守り、寄り添うことであり、自分にできる役割があること
など、どれも胸に留めておきたいお話がたくさんありました。

医療従事者でも被災地域出身でもない私が中でも印象的だったのは、元保健師の山﨑局長さん?(違ってたらごめんなさい)のエピソード↓

被災当時、自宅から車に避難して、留守電に安否を知らせようと「山﨑は無事です」とメッセージを残して車に戻り、また次の日に自宅の留守電を聞くと上司から「無事なら早く出勤してください」と伝言が入っていた。

その時やっと「自分は公務員なんだ」とハッとして自分の立場を自覚し、それから夫の仕事の都合もきかずに、自分の仕事がとにかく大事なんだと仕事優先で生活していたことや
当時3歳の子どもを友人に預けたら「公務員の前にあなたは母親なんじゃないの?あなたがダメになったらこの子はどうするの?」と言われた言葉もすごく残っていること、でも当時は動かずにはいられなかったこと

を話されていて
被災現場の前線で働かなければいけない人の心の動きや当時の環境がとてもリアルだった。
他の先生方のお話も医療、看護という専門性の高いお話の中に、誰にでも共通する心構えや生活のあり方を考えさせられる沢山のメッセージがありました。

看護も他のどの仕事も同じで
"自分に何が求められているかを考える"っていう
言葉が心に残った。


あとシンポジウムの間「寄り添う」って言葉が
至る所に出てきて
これ、医療に全く関係のない自分の仕事でも
かなりキーワードというか、大切な精神だけど
寄り添えてない経験の方が多い自分としては耳が痛い部分もあった。

集中して聞いてたけど、頭の片隅に
自分の仕事の過去のシーンとか、関わってる人の顔とかチラチラ浮かんでた。
どうしても寄り添えない時があるんだよな。


すごくシンプルで当たり前に思えるけど
仕事でこの意識をバランスよく持っておくことってかなり難しいと今の私は思う。
寄り添い過ぎるのもダメだし、その塩梅とかタイミングとか。
相手の観察も必要だけど、そのベクトルは自分にも向いてないといけないと思うし。

色々考えさせられた。



〜第2部後〜
再びステージに出てきてのめぐさんの感想↓

とても勉強になりました。
以前、地域の避難所の確認をする機会があった時?に、被災した際のテントは誰かが組み立ててくれるわけではなく、自分たちで全てしなければいけないのだということを知りました。

皆さんも例えば被災してグーグルもスマホも使えなくなった時に、身近な人など必要な電話番号だけでもすぐにかけられるよう覚えているか?(回線が使えるかは別として)避難所がどこか分かっているか?
→南さん「紙に書いたりね。アナログ大事」

日頃の備えをどれだけ私たちがするか、2部のお話にあったお話を聞いて自助、セルフケア力を高めることが大切だと改めて感じました。

めぐさんのコメントに対して池田学部長さん?の「そのとおりで、セルフケア力を高めることで助かる命がある」という結びの言葉が刺さった…
説得力の強さよ。


出演のお礼に、学生さんからの花束贈呈。
「わーもったいない、もったいない」と言いながらとても嬉しそうなめぐさん。
花束を渡した学生さんと2ショット撮影してて
世界一幸せな学生ここに現るの図を微笑ましく
眺めていました。

☆最後の挨拶
看護の仕事とは別の、声優という仕事を生業にしている私が、こんな会に呼ばれていいのかと迷いましたが、看護を学んでいた3年間はずっと私の支えになっています。
看護も声優も"人に関わる仕事"というのは同じ。私の拙い経験が皆さんのお役に立てばという思いで活動しています。
今日はありがとうございました。

→めぐさん、今回のシンポジウムに呼ばれたのはめっちゃ嬉しかったんじゃないかなぁ…

池田学部長さんの感想だったか忘れたけど
めぐさんのお話を聞いて「林原さんのお話を聞いて、本当に看護を学ばれていたというのがよく分かりました」ってコメントされてたの、私ですらなんかジーンときたし。

今の道以外のめぐさんなんて想像できないけど
別の世界線ではきっと良い看護師さんになってたよね。


拍手の中、手を両手で振りながら満面の笑みで退場。
捌ける直前でくるっとこちらを向いてお辞儀してニコニコ捌けるめぐさんが可愛くて「可愛い!」って再び立ち上がりそうになった。
危うくこれまでの忍耐の全てを台無しにするとこだった。


こんな感じでした。


今回、自分のことを語るめぐさんを初めて見て、聴いて思ったのは凄まじいトーク力。


めぐさんが話上手なんて
電線上のカラスや鳩が太陽の方向を知ってるくらい万物の理レベルの周知の事実なんだけど
圧倒された。うわーって。


今回は「看護」「震災」「神戸」「声優」と
色んなテーマが投げかけられてたけど
違うテーマを話しているようで、テーマの間で点と点が結びついていたし、しかもその点を結ぶ結び目が滑らか過ぎて。

滲んだ点がちょっと膨れて「あ、ここに点がありましたね」って分かるような線の繋ぎ方じゃなくて最初から1本の線だったような話し方されるなって。

そして看護学生時代の話とか、肝臓の症例然り、やってる人じゃないと分からない用語やエピソードがどんどん出てきて、知識の量、幅、深さ、勢いがもはやイグアスの滝。
現役で働いていない、しかも3年間の経験からこんなに年数が経っててなお、このアウトプット力。

それでいて纏う空気はいつものラジオと変わらない温かさと聴き手に寄り添う心に溢れてて。

めぐさんの話はずーっと聴いてられる。

本当に凄い方のファンになったんだなーと
改めて感じました。
毎回現場が終わるたびに思うんだけどね。

あと、今回特にそう思えたのは
司会の南かおりさんとムサさんの進行のおかげだったと思う。

お話の引き出し方や共感の仕方がとても素晴らしくて、うわー見習いたい!って思いました。

インタビュアーや司会の役割って大きいから。

客席が話を聞きやすいよう、かたい雰囲気にならないよう、すごくこちらを向いてくださってるのが分かって安心感半端なかったです。

本当にありがとうございました。


参加させていただけて本当に良かった。

めぐさん達の当日のお話は
私のレポの100万倍素晴らしいから、ぜひ皆さんに放送を聴いていただきたいです。

2/18(火)18:00〜19:30 ラジオ関西
※大事なことなので2回いう


あと神戸市看護大学の雰囲気もとても良かった。
もちろん初訪問だったけど
キャンパスの外観がナイチンゲールの生誕地フィレンツェの街並みをイメージしているらしく、とても綺麗だったよ。

学長さんの冒頭挨拶の中で
「本学は震災をきっかけに地域から求められて
短大→看護大学として開学し、震災後の訪問看護や被災者を大学に招いて交流をもつなど震災以降
地域に寄り添い密接に繋がってきた」のような話があったんだけど

いただいたパンフを読むと1年生のカリキュラムに
「神戸学」ってのがあったり「地元創成看護学」で地域をキャンパスにする取組を全国で先駆けてやってたりと、大学⇆地域のお互いを向き合うような取組が見えるのが素敵だなと思った。

企画、準備、運営をしてくださった
神戸市看護大学、神戸市、ラジメニア関係者の
皆さん、本当にありがとうございました。

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