死刑囚表現展2024 総括! 其の十四
今年初めて「死刑囚表現展」に行きました。
去年は行けなくて「創」という雑誌の特集ページを見ただけ。
実際行ってみたら本に載っているものと実物とは迫力が違いました。
目に見えない空気感のようなものが感じられました。
また、来場者も様々な年代、性別、国籍の方がいてその空気感も不思議でした。
私が過去記事で紹介した方々は実名で作品応募している方達です。
ペンネームの方もいたので、その方達は何の事件を起こしたのか、生い立ちはどうなのか、そこを調べる事はできませんでした。
ペンネームの方の作品はドット絵があったり、子供の頃からの思い出を語るものだったり、何かの物の作り方の説明書を手書きしている不思議な作品がありました。
そんな作品を見てると「この人は子供の頃どういう生活をしていたんだろう」「お母さんの事を大事に思ってるのかな」「几帳面な性格なのかな」など思い、結局最後には「なぜ事件を起こしたんだろう?」という思いに辿り着くんですがペンネームともあって背景が分からず残念でした。
死刑囚表現展、行く前は死刑囚達の「反省している姿」「後悔している姿」が見れるのかな、と思ってました。
また彼らの「狂気」みたいなのが垣間見えて事件を起こした事に対してある意味「納得」や「合点がいく」のかな、と思ってたんですが。
死刑囚表現展を見終わった後はそんな期待はことごとく裏切られました。
私が勝手に死刑囚達に押し付けていた感情なだけなんですが。
結局行ってみてわかった事は事件に対して「後悔」や「反省」はなく、できるならもともと死刑囚にはなっていない。
「生死」について向き合うようになるけれど、それは「自分の死」に対してで決して「他人の死」ではない。
また矛盾しているけど、戦争や災害で命をおとす事について心を痛めてる記述をよく見るが
それは自分とかけ離れた現実味のない出来事だから軽々しく言っているかのよう。
自分にとって正義だと感じれば他人を手にかける事は正解になってしまうんだろうな。
などと感じました。
自分の身近な人が被害者となったら、死刑囚となった加害者には「罪の深さを知って辛くて苦しい思いをずっと味合わってもらいたい」と思うんですが、それは難しそうです。
ただ来年もこの死刑囚表現展には行こうと思います。
この人達の作品にどういった変化があるのか、ないのか。
また、死刑囚となって間もない方の新しい応募作品も出てくれば長く拘置所にいる方との思いにどんな違いがあるのか、植松死刑囚の偏った思想に変化は訪れるのか、そのまま抱えて生きていくのか、それも気になります。
今後もnoteでは日々感じた事を吐き出していこうと思うのでまた見に来てください。
ありがとうございました!