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目が見える幸せと発信欲【ゆるエッセイ】
書きたいことはたくさんある。言いたいこともたくさんある。
だけど、書きたくない。言いたくない。
何も伝えたいことなどない。聴いてもらえないのだから。
口を閉ざしてしまって、耳を塞いでしまって、目だってかたく閉じてしまおうか。
そう思うのに、なぜか、目を開けている。
眼瞼痙攣が悪化して、白杖をついて、必死になって痛い治療にも食らいついていたのに、外を一歩も歩けなくなったことがあった。
1、2年前のことだ。
目が不自由になって気づいた。俺には見たいものがたくさんあったんだ、と。
見たいものを見られないと、何もできない。
そうして気づいた。言いたいことも、たくさんあった。
目が見える。本が読める。絵が描ける。文章が書ける。散歩に行ける。映画を観られる。SNSができる。車や人にぶつかる恐怖なしに、真っ直ぐ歩ける。流れていく文章に気軽に目を向けられる。人と、自由に対話ができる。
俺は幸福なことに、目を取り戻した。
取り戻した目を使って、人と交流し、対話し、意見を交換している。それから、ときには文章を書く。
文章を書くとき、俺は文字になる。
文字の羅列が流れていく。整合性を取りながら、かたちのわるいボールが転がるように。縦横無尽に、それでいてバランスを大切に。
どこか不安定なまま進む、進む、進む。
言いたいことは無限にあるんだ。
話を聴いてくれる親切な誰かに期待なんてしなくていい。
俺の時間の流れは早いようだから。
誰かを待つ必要なんてない。
焦らないで。伝える。伝える気持ちがあれば、誰かにきっと、伝わる。そう、なにも今すぐじゃなくたっていい。
いつかは伝わる。文章なら、時間を超えられる。
伝わって。言いたいこと、書きたいこと、たくさんあるんだ。
あなたと話がしたい。
俺の言葉を、あなたの見るものと融合させたい。そうしてできあがったものが、お菓子なのか、音楽なのか、歴史なのか、拷問なのか、はたまた。
なんでもいい。知りたい。知るために、話したい、書きたい。
伝わって。伝わったら、教えて。どうか。