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ep49 村境ルート探索#8 (竹筒周辺のルート設定 その①)
2024年3月31日
先週水曜日は竹筒の対岸にある村境の探索を行いました。ほんの1週間ちょっと前でしたが、十津川村の山間部は吹雪になり、国道168号線、天辻峠は雪が積もり運転に気を使いました。
今回は十津川村最南端であり、奈良県最南端の地でもある竹筒周辺を探索しました。天気は快晴。少々黄砂により霞かかっていましたが、気温が一気に高くなるとの予報でしたので、水分を多めに担ぎ出立しました。
訪れた場所はこちら↓
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五條市から奈良市までおおよそ40キロなので100マイルですね。
メンバーは筆者含め3名、スケジュールを合わせて来村して頂きました。2名とも先週行われた広島市のトレイルレース100キロを走破して来たばかり。泥んこ祭りだったそうで実に、実にタフです。
旧国道の熊野市と瀞峡への分岐点へ車をデポし、葛山集落の村境を目指します。急傾斜地に立ち並ぶ家屋は十津川村特有の景色です。ただ、眼下には雄大な北山川が流れ、比較的穏やかな山並みで空が広く、熊野灘が近い温暖な空気感は独特です。
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真っ直ぐ行けば玉置口、左上に折り返せば葛山集落
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奥の尖った山は子ノ泊(ねのとり)山
葛山集落
葛山は現在も数件の家があり、少数の村民が生活されています。(令和4年の時点、竹筒全体で20名) ここの村坂上はなだらかな尾根になっており、村境によって町と村に分けられています。数件の家が立ち並んでいます。十津川村側の家は誰も住んでいない様子でした。
ごみの集積場があり、和歌山県熊野川町の物と十津川村の物が近接していたのは珍しく映りました。後ほど職員に聞いてみたところ、村の境できっちりと分けているとの事でした。
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目を凝らすと電波塔のある大雲取山、左のなだらかなピークは白見山に見えます
玉置街道を登る
葛山集落の村境から今でも地図に破線が残る道へ進みます。この道は竹筒から玉置神社に続く道で玉置街道と呼ばれるそうです。
葛山の最上部に登山口があります。最初は入り口が分からず廃屋から登り出しました。道端に朽ちた看板があるので本来はそこが入り口となります。今も現役であろう電柱と電線を辿れば歩きやすい道が明瞭となります。
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この道は竹筒の裏山を斜めに登って行くように付けられ、緩やかに標高を上げていきます。参拝の道でもあり、生活道でもありました。十津川村の中心部に行く唯一の道だったので所々に見る石垣や石段はしっかりと作られています。時々谷が現れ水が豊富です。夏場に先人達がこの道を歩いた際は皆喉を潤した事でしょう。
ここを登り切ると広大で平坦な場所に出ます。地図上でも何があるのか気になる場所でしたが、近年設置されたであろう林業用の作業道があります。この広い場所は『原の平』と伺っていて、古い家屋跡などの遺構が残されていないか注意して歩きましたが、山葵田跡と思われる石垣が残るのみでした。ここの広さは十津川村でもあまり見ない所で、ゴルフ場が作れそうだと思うほどでした。
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玉置神社一ノ鳥居を目指して
作業道を進むと玉置神社への距離を示す道標と石碑が現れます。この場所は隣村の九重集落から登って来る道で、石碑にも記載されている『九重辻』との事。少し下ると『石休』(いしやすみ)と言う場所があります。古い地図ではその名が示されており、現在は石垣が残るのみだと聞いています。父親がここの出身だと地元のご老人から聞き及んでいた為、おそらく明治〜大正時代には家と田畑があったと思われます。
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ここに佇む石碑は明治38年に建てられた物で、【紀功碑】と言う何か功績を讃える物の様です。
道を作るのに何か寄付した方がいたのでしょうか。気になるのは石碑の左端に、私の母校でもある奈良県立十津川高等学校の前身であった文武館の館長名が刻まれている事です。
この方は錦織知恂(ニシゴオリチジュン)館長で、明治38年〜40年まで就任。大阪の方です。明治40年に『勤王村十津川の学校』を書しており、現在は国立図書館のウェブ上で閲覧可能です。
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文武館館長はこの碑に記された文面を作成されたのでしょうか。名前の下に誄(ルイ)と記されている様に見えます。䛶とも書きますが、これは故人を偲び功徳する意味があります。薄ら残る文字を眺めると、〇〇之力也君没明治三十七年と見えるので、この方を讃えた物かもしれません。今後もより詳しく調べてみたいと思います。
さて、石碑に熱くなり過ぎましたので話を戻します。
九重辻からは玉置神社方面へ少々登ります。松林を通る広めの道を登り、少々シダに覆われた道を登り切ると、立派な鳥居が建てられています。これは2019年春に完成した物で、今から丁度5年前、この辺りを開発した十津川村森林組合から寄贈された物です。
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ここにはもともと古い鳥居があり、風化によって朽ち果てていました。近年、参詣道や生活道して使われることの無くなった玉置街道は、人の往来もほとんど無くなり、鳥居も放置されたのではなかろうかと思います。
鳥居のすぐ横には何かの建物があったと思わせる石垣が残されています。古くから玉置川集落に住む方に尋ねてみると、茶碗などが転がっていたと聞きます。竹筒や九重から登ってきた方が一休みする茶屋があったのかも知れません。周囲は杉林でうっそうとしていますが、すぐ近くにはコリカキ林道(作業道)が設置され、風がよく抜けます。
作業道のすぐ横に杉の大木があり、古くから人の往来を見つめていたのでしょう。森林開発時に伐採されなくて良かったと思います。また、ここには小さな地蔵があります。この日は気付きませんでしたが、他の方の山行記録に散見します。玉置神社は元々社僧による運営もされていた為、この場所は神仏が混じり合っていた名残を感じる場所でもあります。
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後半は一の鳥居から少し戻って、村境に沿った破線なきルートをご紹介します。