大人バックパッカー(その23)ビジネスクラスに乗るということ。

バックパッカーにビジネスクラス、というアンビバレンツな取り合わせ。
バックパッカーを気取るならビジネスクラスは使わないだろう!と突っ込まれそうですが、私もそう思いますし、40代まではずっとエコノミークラスでした(そのころ、格安エアラインは存在さえしていませんでした)。

初めてビジネスクラスに乗ったのは50歳の旅のときでした。
40代の最後に私はがんになりました。食道がんです。なかなか厄介な部位にできたもんだなぁ、とネットで食道がんを検索しながら思いました。運よく初期で、手術だけで取り除くことができ、抗がん剤を打つこともなく、元の暮らしに戻ることができました。

30代の頃、仲のいい友人を3人ほど亡くし、人生のはかなさを考えましたが、自分はまだ大丈夫だろうという裏付けのない自身で生きていましたが、がんの告知は人生のしまいを本気で意識させられた、最初の出来事でした。告知に足が震えたことを覚えています。

こりゃ、急いで旅をしなきゃいけない。まず私はそう考えました。

いずれ行ってみたい、と思っていた旅先はいくつかありました。東ヨーロッパ、南アフリカ、ミャンマー、メキシコ、ジャマイカ等々。なかでも優先順位1位の国がキューバでした。

日本からキューバへの直行便はありませんでした。今もないようです。
ルートとしてはヨーロッパ経由(パリで乗り換え)か、カナダ経由(トロント乗り換え)か、アメリカ西海岸からメキシコ経由の3ルートがありました。日本を中心とした世界地図で生まれ育ったものには、キューバの位置関係は日本の東の端にあり、そこに行くための合理的なルートはカナダ経由が自然かな、とそれだけのことでエアカナダを選びましたが(スターアライアンスです)、これが大正解。エコノミーでは到底味わえない旅時間を体験することになりました。

エコノミーの乗客よりいち早く搭乗案内されます。出発の1時間も前です。こんなに早く乗り込んだら退屈でしかたないじゃないか、という私の考えは、すぐにどこかへ吹き飛ばされました。席に座り、程よいタイミングで、「ミスター・ワタナベ、シャンパンはいかがいたしましょうか?」。いわゆるウエルカムシャンパンです。この瞬間、エコノミーとは違う世界の扉が開きました。

シャンパンの次に渡されたのは、メニューでした。レストランで出されるような縦長のメニュー。きちんと製本された数ページのものです。
メイン料理は2種類で、ワインリストまでついていました。赤ワインが2種類、白ワインが2種類、シャンパンにロゼもあればウィスキーもスコッチも日本酒も。ありとあらゆる酒がリストに書かれていました。その上、「いつなんどきでもご注文いただけます」という断りのしたのは、ナッツやパスタ、サンドウィッチなど軽食がずらり。こういうサービスがあるのか、と愕然とした思いがあります。

食事が始まると、さらに驚かされました。
目の前のテーブルにまず、白いテーブルクロスがかけられ、フォークとナイフがセッティングされたのです。レストランのフルコース仕立てです。
前菜が出てきて、パンが選べて、サラダがあり、メインディッシュがあり、そのあとはデザート。コーヒーを飲んでいると、山盛りのフルーツとケーキとチーズを搭載したワゴンサービスが通路を巡回するのです。もうそのころは、私のお腹は満杯で、手も足も出ませんでしたが、なんというボリューム感なのでしょうか。

座席は完全にフラット、平になります。カナダ人サイズなのでしょう、178センチの私が横になっても、上下左右とも余裕。隣の席とは完全に隔離され、そこに人がいることを意識することはありません。家で寝ている布団以上の寝心地のよさでした。

ビジネスクラスのサービスを一度味わうと、もう元には戻れません。
映画も新作映画が搭載されています。少し前、大ヒットした「跳んで埼玉」をANAのビジネスクラスで楽しんでことがあります。外国人客用に字幕もあり、英語のタイトルもついていました。「跳んで埼玉」を英語変換すると、「フライ・ミー・トゥー・サイタマ」! スタンダード曲「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」そのままで、大笑いしました。

サービスもさることながら、寝心地のよさが旅に好影響をもたらしました。不思議なことに、時差ボケがなくなったのです。いつでも好きな時間に、全身を投げ出して眠るれわけですから、ふしぶしが痛くなうようなことはなく、体は楽。現地に着いたその瞬間からマックスで行動できるのです。旅時間のマネジメントを考えれば、こんな得なことはありません。
旅の予算に余裕があれば、ビジネスクラスを。
ただし、繰り返しになりますが、一度ビジネスクラスを味わうと元の体には戻れませんので、ご注意のほどを。

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