自分が無価値だと感じる劣等感
幸福の科学の信者さんのブログで 劣等感についての考察がありました。それを読んで考えるところがありました。
八正道での 反省修行で 自分の心の奥底を見ても、今世の人生だけでは、何が原因か分からないものがあります。
この方のブログでは なんと4000年前に、親から捨てられた時の記憶が 出てこらたらしい。今世の話ではありません。過去世の話です。
親から捨てられるというのは子供にとっては大変な衝撃です。
子供は 自分に原因がある、自分には愛される価値がないのだと思い込んでしまいます。
これが 魂の傷となって、心の奥底に劣等感として残っていた事を発見されたようです
心に強烈に刻み込まれた、体験や感情は 生まれ変わっても人の魂の傾向性として残るようです。親に捨てられたという記憶は 生まれ変わっても、何故なの?何故 こんなのも辛い悲しい思いをしなければならないのと、残り続けるのでしょう。
しかし、親が子供を育てられない状況は 親の状況であり、
親には親の事情で捨てざるを得ない状況もあったことへの理解と、
親が 私を捨てたからといって私に価値がない ということではない
「親に捨てられたことと 自分の値打ちには何の相関性もない 」と心の底から掴まれたことで 幼少期からの劣等感から救われたそうです。
転生輪廻を信じない人からは 過去世の記憶が今世の人生にも影響を及ぼすということは 信じられないことかもしれません。
しかし、高所恐怖症、閉所恐怖症などで、理由がないのに怖くてたまらない人は過去世に 原因があることも 最近 前世療法などで わかってきつつあります。
自分には価値がないと感じる心は、表面的には 他人との比較で生じる劣等感に見えます。
自分より優れているもの 豊かなもの、人気のあるもの、美しいもの、社会的に恵まれているもの、自分には無いものを他人が持っているときに劣等感を感じることがあります。
それは、相対的なものであり、劣等感と優越感は表裏の関係です。
相対的な価値観のなかの優劣 貧富、幸不幸のなかにいるといつまでも 心は平安の境地には到らない。
どんな 私であっても どんなあなたであっても、神仏の子としての価値は揺るがない。 神仏の愛を心から感じられたときに この劣等感とサヨナラされたようです。
幸福の科学では 人生は一冊の問題集であると教えられます。
人生の諸問題に苦難 困難にあるとき、そこからどう逃れようかと足掻くのですが、出口ではなく入り口を考えなさいと 初期の頃の経典のなかで読んだ記憶があります。
何故 自分に この人生が与えられたのか。
何故 この 環境に生まれたのか
何故 この両親のもとに生まれたのか
何故 この時代に生まれたのか
何故 この日本に生まれたのか
何故 この 地球に 生まれたのか。
何故 人は生まれ 死ぬのか
何故 生まれてきたのか
一人一人の問題集は 違うけれども 仏の子として神の子として 自分固有の人生からつかみとるものを魂の糧にしていくのでしょう。
すべてが 与えられている。
それを 生きている今 わかないでもがいて苦しんでしまうことも多いのですが、善きものも悪しきものも、与えられた問題なのかも知れず ひとつひとつ解いていくことで 魂が成長していくのだと思います。