四弘誓願 しぐせいがん

幸福の科学の新年大祭の礼拝に参加すると
四弘誓願のカードを2枚 いただきます。

1枚は 祭壇に奉納して 1枚は持ち帰ります。

四弘誓願 には


衆生無辺誓願度
煩悩無尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

の四つの仏教の修業の指針が書かれています。

難しい言葉が並んでいますが 仏教の菩薩修行の為の誓いですね。

仏への 今年1年初の誓いを書いて 自らの今年1年の戒めや抱負とするものです。

昔 こういう誓願を書くのは嫌でした。
神仏の前に誓願してそれが出来なかったら、
それを実行しなかったら…とかいろいろと考えて 奉納することなく 帰っていました。
奉納するもしないも自由だからです。

ある時 ふと 自分は 何か たいそうな事を書こうとしているのではないか?
こうしなければいけないと 他人から言われた目標を書こうとしているのではないか?

もっと 自分のできる 自分の心から素直に出てくる思いを書けば良いのでは無いのかと思うようになりました。

神仏の前で いいかっこしても 始まらないのではないかと思いました。

それ以降 気楽に書いて奉納するよりなりました。

そういう思いで 礼拝所で 心を静めていると


自分を変えることなく世界を変えることはできません

私たちの心が愛に溢れ
私たちの心が智恵に満たされ
私たちが自分自身の愚かさを反省し
私たちの心が成長し発展して行く道を
主は説かれています。

という 言葉が 心に浮かんできました。

自宅でお祈りや瞑想をしていても 浮かばない言葉が 心の中に響いて来ることが 幸福の科学の精舎や支部の礼拝室では 良くあります。

それは きっと 修行をしている職員さんや信者さんの祈りの場であり 菩薩や天使といわれる霊存在が見守ってくれている聖域であるからからもしれません。

普段 生活をしていて 世の中のことに関心を持って観察しだすと とても理不尽でおかしな事がまかり通っていることに気がついて 怒りが湧いてくることがあります。

そして なんとか その社会を変えねばならないという義憤に駆られる事も出てきます。

しかし、この社会の 害悪を作っているのは
結局は人間の心が出す 塵の集合体なのかもしれません。

貪りの心 欲だらけの心 
怒りの心
神を否定する唯物論的な愚かさ
この世だけの栄耀栄華を求め 他の人の苦しみや悲しみを顧みない愚かさ
無慈悲な心
何でも疑いの目で見てしまう猜疑心

こうした 人間の心から出る ゴミのひとつひとつが積み重なって この社会を この世界を作ってしまったのだと思えてきます。

そして そのゴミを自分で片付けることなく 神様がいるなら、 何故こんな世界なのだと 神様を否定するような人も出てきます。

以前 説法で
💖あなたが生まれて世界は美しくなりましたか
世界はよくなりましたか
これを自分に問うてください

そして、「イエス」と言えるなら、それは人生に成功したということです。
そういう気持ちで生きてください。

この世に生まれたことに意味を見つけ、ほかの人のお役にも立てる人生を生き切り、そして、この世を見事に卒業していくことこそ、大事なことである。
そのような単純なことを教えるのが 宗教なのです。💖

と説かれました

あなたが生まれて世界は美しくなりましたか


そして
💖「世界が美しい」と思えるようになり、この世を去れるのであれば、みなさんは成功したと言えると思います。💖
と説かれています。

世界が美しい

と思えるかどうか。

まだ 私には悲しみの方が見えてしまうのです。

道半ばなのだと思います。

あなたが生まれて世界が美しくなりましたか
世界が美しく見えますか

という
言葉は繰り返し繰り返し心をよぎります。少なくとも 自分の心からは ゴミを出さないようにしなければ、世界は美しくならないよなと思えます。


病を治す心構えの説法では

あなたが幸福になることで 世界のユートピアが前進するように祈ってください という言葉もありました。

幸福になるとは 心からゴミを出さないようにできる心境を保つことのように 私には思えました。

四弘誓願には そういう思いで 今年は記入して奉納しました。ささやかな小さな誓願です。




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