正命という反省 祈りの前に大切なこと

幸福の科学の経文
仏説 八正道の経文に 正命の反省があります。

心を正し             意業
言葉を正し         語業
行いを正せ         身業

といった 三業を正した生活のことを差します。

世界の平和を祈るという宗教は数多くありますが、祈りの前に必要なことがあるようです。

自分の心が清らか

人を憎んだり 恨んだりしていないか

愚痴や不平不満だらけで人を傷つける言葉を発していないか

勤勉に生きているか

朝 正心法語の読誦のあと 瞑想していたら、 この正命のところで 引っ掛かっていますよという 思いが降りてきました。

玩物喪志という お話を大川先生が説法のなかでされたことがありますが、玩具に心を奪われて遊んでいるうちに当初の志を忘れてしまうことのようです。

人それぞれ 玩具となるものは違うようですが、パチンコ、麻雀をはじめとした賭け事や オンラインゲームなども気晴らしに楽しむ程度を越えてのめり込んでしまうと 人生の時間を大幅に無駄にしてしまうことになります。

子供とのコミニュケーションツールとして始めたゲームに私自身がはまってしまって、ずいぶんと時間を浪費している…気がします。

一日の半分を横になって過ごすことが多くなって、もう少し読書や勉強に当てたら良いようなものの ベッドの上で簡単に使えるものがやはりスマホなんですね😅

エル・カンターレ祭等の大きな説法のあるときには なんとか頑張って参加できたものの それ以外の外出は 今は とても疲労してしまいます。

徳島にある エル・カンターレ生誕館に参拝したいと思いつつ 現行の体力では、難しいなと感じたり、ちょっと体調の良いときには もう少し体力をつければ行けるよという思いが沸いたり、行きつ戻りつする思いのなかで、自分には何が出来るのだろうかと思うことがあります。

2023年は 引き続き どうも人類にとって厳しい試練がありそうで、多くの人が心ひとつに祈ることが出来たら世界の状況は改善できるのかなと思っていましたが、祈るだけでは 駄目なようです。

天使や神仏の目から見て その祈りを聞き届けられるにふさわしいか、それだけの努力をしているか、その祈りを聞き届けて その者の魂の向上に役に立つか見られていると聞きます。

あの世に帰ったときに 自分の人生を映画館で上映されるようです。

みんなに見られても恥ずかしくないか、 行ったことだけでなく、心のなかで考えたことまでもみられても恥ずかしくないか。

それを やはり考えて、反省すべき点は反省しておかないといけないとも言われます。

心の底から世の為 人の為と思って 行動に移せている人はそれだけで 神様から愛される人だと思います。

やはり、どう人から思われるかを気にして、善い人を演じているのは、自分も苦しいし、神様から見ればお見通しなわけです。

ただ、最初は形から入ったものであっても、本物になってくる瞬間があるのだと思います。

人間が何度もこの世に生まれ変わって転生輪廻をしているのも 1回だけの人生だけでは 掴みきれないものが数多くあるからです。

自分固有の人生を愛すること

この地上に生きている間に 美しいものを発見し続ける心の豊かさを持つこと。

この地上にある時に 仏の教えに出会えたことなどは何より大きな宝だと 心の奥底ではわかっている。

それでいて、ともすれば 現象面でのこの世の不条理に憤りを覚えたり 一喜一憂する心。

そのような 自分自身を正命という観点から 見つめ直していくように 言われた気がしました。






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