安全保障上の脅威・民主主義の脅威は自国内にある… リーダー達の傲慢 ヴァンスの演説
ハラノタイムスさんがヴァンス副大統領がドイツミュンヘンでの安全保障会議で演説したものを 翻訳動画であげておられました。
コメント欄からはこのような声が上がっていました
「このスピーチを英語で聞いていてぶっ飛びました。会場の聴衆の顔がどんどんこわばっていくなか、グレタに関するジョークを放って氷のような空気を作ってなおもヨーロッパの指導者を詰めていく。ヨーロッパの高官が次々に不快を表明するなか演説動画のコメント欄にはヨーロッパ各国からの絶賛で溢れているのが印象的でした。ヴァンスの度胸に敬服」ですって☺️
ヴァンスの演説は
ヨーロッバの指導者たちが何を守ろうとしているのかを 問うのです。
民主主義?
ヴァンスは言います。
人々は、自分の安全、自分や自分の家族のこと、自分の夢のこと、自分と自分の子供たちを養う能力のことを大切にしていると思います。
ヨーロッパの指導者たちによって
ダボスのようなところで
議論されるていること
それは
゛国民を教育を受けた動物のように扱ったり、世界経済の歯車のように考えている゛
国民はそのように扱われていると感じており
そのような 扱いは不当であるということを
述べています。
(ドイツでは 移民重視で国民が蔑ろにされてきたことに不満が溜まっており、ドイツのための選択肢という政党がSNSを通して国民の支持を集めています。
これに危機感を抱いたヨーロッパの指導者たちがX等のSNSでの 国民の自由な言論空間に規制をかけようという動きが強くなっていることがこの演説の背景にあります。)
このような 国民の声をメディアを閉鎖したりで選挙を中止したり、政治的プロセスからの閉め出したしても何も守れないとヴァンスは続けています。
ここには 一般の国民を愚民視しているヨーロッパのエリート達の傲慢さに対する批判を感じます。
このスピーチを聞いて
大川隆法総裁が 書かれた自伝的小説
鏡川竜二シリーズの
内面への道を思い出しました。
東大の入学式にがっかりしたこと、そして、エリートティズムについての考察です。
当時は安保反対闘争で敗れて、東大を去った丸山真男あたりを崇拝する弟子学者が、東大の要所をおさえていた。
もし丸山派が安保反対語闘争に勝っていたら、日本は、旧ソ連、中共、北朝鮮のような国になっていたのである。この後、旧ソ連や中国共産党を雷さんする学者たちの授業で、鏡川竜二は苦しむことになる。講義をノートに取って、試験時に答案に描くだけなので、教授の授業が間違っていたら、成績優秀者ほど、地獄行きとなる。これでは日本の将来は一体どうなるのだ。
よほどの教養と、宗教的、哲学的信念を持っていなければ、流されていくだけの学生となるだろう。
大学側は「優」の数で競わせることで、学生を「奴隷の学問」に縛りつけようとしている。
いずれ、東大の没落と、日本の凋落がやってくることは避け難かろう。
そして、このようなエピソードも
東大駒場近くの喫茶店での出来ごとです。
ある暑い日、竜二たちは、七人で集まって、電車が見える二階の席で憲法の勉強会をやろうとした。24.25歳のような鼻の形のよい、利発そうな女性が、ウェイトレスとして階段を上がって、注文を取りにきた。竜二も困惑するくらい、七人の注文はバラバラだった。
かのじょは、一つ一つ、ハイ、ハイと頷くだけでメモも取ろうとしない。竜二は少し不安になって、
「あのー、七人分も覚えられるんですか」
と率直にたずねた。
彼女はキッとした顔をして、少し竜二の方へ視線を移すと、
「同じ人間ですから」と答えた。
1976年頃のことだから、この文を書いている今から、46年も昔のことになる。
隆次はこんな一瞬、こんな言葉を、消して忘れないタイプである。彼女がアルバイトなのか、正規社員なのかは知らない。しかし、竜二の率直な質問が、彼女のプライドを傷浸けたのは間違いない。
しかし、「同じ人間ですから。」という言葉は、東大生であるあなたがたと渡しは、同じ人間ですから。」という意味であることは間違いあるまい。
竜二は、
喫茶店1つにも、人生勉強の場があることを痛感した。そして、自分も丸山正男が東大本郷の25番教室で、「我々エリートが一般民衆導く民主主義」を説いていたという故事を思い出していた。ソ連共産党も、中国共産党も、党員はエリートで、民衆の間にだけ「貧乏の平等」があるのだ。その共産党エリートを、東大学生に置き換えて、安保の学生闘争をあおっていたとしたなら、丸山のいう「永久革命としての民主主義」もしょせん、絵空事なのだ。ただのエリートの派閥争いで、下々は、おとなしく従うだけなのだ。
ウェイトレスの言った「同じ人間ですから。」という言葉を、竜二は時折、反すうした。自分にも丸山真男的なところがあるなら、反省せねばならぬ。もし 幼児性があるなとするならば、もっともっと深く反省せねばならぬ。「同じ人間」どころか「同じ人間以下」の場合もあるのだから…。
何もわからない庶民を 我々が導いてやるのだという傲慢さが ヨーロッパのエリート達にあったように 日本の東京大学のようなところにもあったということでしょう。
そして、これは共産主義国家の共産党エリートが一般大衆の生活や思想信条にまで口をはさむといった政治システムと親和性が高いのでしょう。
ただ 一方で
国民の側にある 生活上の困窮や不満が政治活動への参加の要因であるなら
また その民主主義からも全体主義が生まれてくるであろうことも大川隆法思想の源流
ハンナ・アレントと「自由の創設」等を読んでいてもわかってきます。
確かに、第一次世界大戦後 ドイツ国民の生活が困窮し経済を急速に立て直したヒトラーは
熱狂的な支持を受け第一党になった歴史があります。
ドイツは選挙によってヒトラーを選んだ過去があるのでそのトラウマが深いのだと思いますが そろそろそれを乗り越えないといけない時期がきているのだと思います。
ファシズムも共産主義も 行き着くところは同じ結果になっています。
国民の自由の領域を奪っていきます。
グレタの叱責に4年間耐えたアメリカのようにEUもイーロンマスクの4ヶ月に耐えないといけないとというヴァンスのユーモア?に会場は凍りついたようです。
ドイツでの選挙を前にイーロンマスクのXを規制しようとしていることそれに対する牽制ですね。
国民を政治の場から閉め出すことでファシズム的なものにつながる道をふさごうという試みは 今度は 共産主義国家のような 全体主義を生んでいきます。
もう そろそろ私たちは次の段階に駒を進めて新しい時代の民主主義を作るべきだと考えさせる演説でした。