私のパンセ 1985年の詩
使徒
雪の日の朝
道の雪を掻く人のように
人々の心の重みを
とりのぞくことを
一生の死後とにしたならば
あなたの人生には
誤りはない
そして
自らのみよりよく生きようとする
人間の苦しさー挫折
というものも
あなたの人生には
ありえない
ものとなろう
挫折
自分のためだけに
生きる人生に
挫折がありえても
人のために生きる
人世には
永遠に挫折などありえない
あとがきにはこのようにあります。
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私にとっては、ある意味で最も苦しかった
時期に書かれた詩編である。
「私のパンセ」の中には書かれていないが、名古屋での「降魔成道」も経験していた頃である。
実社会で働きながら、こうした瞑想の断片集を書き続けることで「宗教家」としてのほんらいの自己を見失わないように、つなぎとめていた、というのが実態である。
この後、1986年7月7日に、東京本社で次表を出し、7月15日に「出家」することになる。それまでの期間、「私のパンセ」が書かれていない期間がある。1985年の7月末に最初の霊言集『日蓮の霊言』が出されてから、2ヶ月に1冊のペースで『空海の霊言』『キリストの霊言』『天照大神の霊言』『ソクラテスの霊言』と会社勤めしてつつ出版していたのである。
記念すべき年に出版できる運びとなり、とてもうれしい。
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商社マン時代に 書かれていた大川隆法総裁の詩になります。2021年に発刊されました。
心の中にどんな世界を持っているかは
人は自分を基準に考えてしまいますが
心の中に 神仏と繋がる自己を発見した
人は 幸福に生きることができると
そのように思います。
数多くの執着を捨て去ったときに
見えてくる世界を 私も訪ねてみたいと
思うのです。