医療に対する信仰?ー 過剰な期待と向き合う医療介護現場の正解は?
介護施設に勤務していた妹からの話や自分自身の入院体験から 考えることも多くなりました。
2020年のコロナやワクチンなどで 今までは気がつかなかったことに関心が向くきっかけになったと思います。
この世が 魂の修行のための仮の世のであり、
肉体を去ったあの世の世界が実在界であるということを 充分腑に落としたうえで
じっくり考えてみると
過剰な医療が 死に逝く人を苦しませるだけであることが 納得もできるのです。
この世に生を持つ者にとって
生老病死から逃れることは出来ず
死も生の延長線上にある「自然なこと」でした。
ですが
現代の日本人は 大半が 医療者も 患者も 患者家族も この世が全てだと思っているので、死を「有ってはならないもの」として忌避してしまうことが多いのではないかと思います。
でも
介護や医療現場の職員さんのこんな声も
多くの方々が ウィルスに感染しないことを最優先し 病気になれば手厚く看護を受けることが当たり前だと 医療者や介護者に求めることばかり多くなると こうした 現場の本音が 呟かれるようになるのかもしれません。
面会が原因で施設にクラスターが発生したら誰が責任を取ってくれるんですか
おそらく こういう思いが 医療や介護、 学校などの現場では いつも問題になってくるのだと思います。
そんななかで マスク着用を自由な判断に任せて強制しなかった学校の校長先生の話は
施設や病院のトップの考え方や 理念と信頼関係を築くコミニュケーションの問題かもしれないと感じました。
組織が、官僚主義になってしまうのは 責任の所在を追求されたときに 規則通りに従っていたから問題がありませんでした という保身なのではないかと思います。
利用者さんや患者さん家族が 過剰に安心 安全を求めて 責任追求をする場合は 施設側も自己防衛的な手段を講じるようになる場合も生じてくるのだと思います。
世界で 次の疫病が心配され(或いは計画され)WHOがパンデミック条約を世界各国に押し付けようとしていますが これは 、
「病」や「死」に対する過剰な恐怖心を利用したものであると言えるでしょう。
日本人だけが 世界で止めてしまったコロナワクチンを7回も打ってしまったのも、情報鎖国であることも一因でしょうが その死生観に「この世」だけの視点を持つ人が 増えたことも原因ではないかとも思います。
いろいろと 心配なことは起きてくるのでしょうが
病や 死についても ある程度 肚を括って 構える覚悟がいるのかもしれません。
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