真説 八正道と「信仰心」の定義 ー信仰心は事実の確認🤔

この真説 八正道は1989年1月に説かれています。大川隆法総裁弱冠32歳 商社マンを辞められて2年目の説法です。真説 八正道には 信仰について 序章で述べられています

「信仰の原点」は「神仏によって創られたみなさんが永遠の生命のなかで無限の転生輪廻を繰り返しながら魂修行をしている」という点を信じるかということです。

人間が そして 私が神様によって創られた存在だと受け入れること

転生輪廻を繰り返しながら 魂修行をしていることを受け入れること


これが 信仰の原点だと告げられています。ここで 信仰という意味は 従来使われているものではないということが分かります。

これを信じるとき、そこに「信仰」がはじまります。この信仰がない場合には何も始まらないのです。信仰という土台の上に「愛」も「知」も「反省」も「発展」ものがあるわけです。「正しき心の探求」も そうです。すべてに「信仰」という土台があるのです。

「愛」「 知」「反省」「発展」は人間を幸福にする四つの原理だと幸福の科学では、教えられていますが この原理も信仰があっても初めて成り立ち「 正しき心の探求」も信仰があって初めて成り立つということです。

正しき心の探求は 言葉を変えれば神仏の心の探求とされていますから 人間が神によって創られたということは前提条件となります。

したがって 信仰心というものを安易なものに思ってはなりません。あるいは手ついたものとして考えてはならないのです。

そうではなくもっと深い根元的なものです。

この「信仰心」と言うべきものは、従来使われている「信仰心」という言葉で表現される内容ではありません。ここでいう信仰とは「事実の確認」そのもの、「真実の確認」そのものであるということです。そうした「大いなる叡知の断片を見た」ということであり、「仕組み見た」ということの確認なのです。

信仰心が 事実の確認 真実の確認と説かれていることに 

驚いたのを覚えています。そんな風に信仰心を捉えたことはなかった。

もちろん それだけではないと思いますけれども 神様から創られた人間であることを認識することが信仰の原点であるのです。

ここから

正見・正語・正思・正業・正命・正精進・正念

が説かれていきますが 最後に 総論として何のための「真説・八正道」なのかが説かれています。

①八正道の現代社会への適応

釈尊が説いた八正道は二千数百年の歳月のなかに埋もれてしまって、現在その正しい精神が伝わっていないということです。

「いったいどのように八正道を使えばよいのか」「その真意がどこにあったのか」ということがわからないままになっていたということです

それゆえに「人類の秘宝」ともいえる八正道を 現代の社会に適応させるかたちで、また実用性を加える形で説いたということです。

お釈迦様の説かれた八正道が現代に生命を持甦ったのだと思います。現代人の為の八正道です。

人類の秘宝

という言葉にワクワク😃💕しました。宝物を与えられたような気がします。

②修行目標としての八正道

「悟った」ということはなく「悟りの入り口に立った」「悟りをある程度維持する」ということはあっても悟ったかどうかは、あの世に還ってみないことには分かりません。生きている間中、修行は続くのです。

したがって「自分はもう十分だ」と思ったときに転落が始まるのです。

修業は生きている間中続く 自分はもう十分だと思ったとき転落が始まる

これは とても 大切なことだと思います。ご家族や、高弟とされる方であっても 心の修行を怠ると 心の中に「魔」の侵入を許してしまい、総裁の側には居られなくなるのではないかと思われます。

霊的なものを 信じない人には この部分が分からないので人間的な感情で判断してしまうのでしょうか。

一度悟ってそれで終わりではないのです。しだがって「いろいろな環境の変化のなかにおいて、この真説・八正道を使って、そのつど 自分の心の曇り、垢を落としていく」ということ そして「正念」で語ったように「正しい未来に向けての自己実現をしていく」ということが非常に大事なのです。

やはり その人の立場や役割、環境に応じた現象がさまざまに起きてくるので、そのなかで自分の心境を維持するための全力の戦いを続けていかなければなりません。

その意味でこの「真説・八正道の修行」は、今世の修行を終えるまで、死ぬまで「終わり」ということはないし、おそらく来世でも続くでしょう。かたちは多少変わるでしょうが、この修行は来世でも続くことと思います。

ゆえに、自分がどれほど役割を与えられても人から評価されても、常にこの「八つの項目」に関して自己反省を怠らないようにしていただきたいと思います。反省のための八項目は゛安全弁゛なのです。人生において決して道に迷わずに生きていくための指標でもあるわけです。

今まで 心が穏やかで悟ったつもりでいても 昇格する あるいは降格されるといった職業上の変化や 事業の失敗 失業や 病気 結婚や、子供の進学等々でも 環境が激変することがあります。そのなかで 自分の心を いかに統御するかが 修業課題としてあるのだと思います。

仏陀の説かれる法の大切さと仏の慈悲を感じます。

③ユートピアの原理としての八正道

ユートピアの原理というのは「心の世界」と「この人間世界、地上世界という外界」から成り立っています。そして「小さなユートピア」「個人のユートピア」というのはどこから始まるかというと 実は、自らの心を支配し、「心の王国」を守り抜くことから始まっているのです。

したがって、そのために、この真説・八正道によって、各人が自らの心をユートピア化していくことこそが、「外の世界にも光を点灯していくこと」にほかならないわけです。この「各人の心をユートピア化していくこと」から「世界のユートピア化」は始まるのです。これなくして理想を一挙に実現することもできなければ、政治改革も、経済改革も宗教改革もありえません。制度的なものや環境的なものに騙されてはならないし「◯◯のような人が来ればそうなる」「□□のような環境が出れば幸福になる」とか そのようなものではないのです。

私は この部分を改めて30年以上経って読み返して、全く総裁先生の教えが分かっていなかったと痛感させられました。私は過去世 立派だった方々がたくさん出ておられるから そのような方々が活躍中されて世の中が変わっていくのだろうと 漠然と思っていてしまったのです。

自己変革のすすめとタイトルに記されているにも関わらず、まず 自分が変われ まず 自分の心を変えてゆくことが 世界をユートピアにすること。こうした原点を忘れて 反省も前に一回したから まぁいいやで終わってしまっている。

毎日 毎日 新しいことが起こり 新しい心の動きがあります。それを点検することを怠っていました。

それぞれの環境において、それぞれの問題や課題を背負いながら、光を灯すことです。そして、その光を灯す方法こそが「真説・八正道」であるということを知っていただきたいのです。

私に与えられた環境 私にに与えられた課題は他人とは違うものですが この 真説・八正道は「私の課題」と向き合う方法を教えてくれます。

この 真説・八正道は 座右の書として 大切に読んでいきたいと思います。

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