批判をバネにする逆発想 常勝思考より

私は1989年に発刊された常勝思考の本を持っています。そのなかでトランプさんについて書かれた箇所があります。
多くの批判や暗殺未遂に打ち克って大統領選挙を戦い抜いたトランプさんが1989年、今から35年前に大川隆法総裁の目にはどのように映っていたのかが わかります。


平成元年10月30日 初版


以下 引用します。

お読みになった過多があるかもしれませんけれども、『トランプ自伝』という本が出ました。アメリカの不動産王で、ドナルド・トランプという人の自伝です。42、43歳でものすごい資産をつくって、やがては大統領をも狙おうかというような勢いのある、ニューヨーク一の腕利きの不動産王です。

 この自伝を読みますと、おもしろいことを言っているのです。腕が利きすぎるためにずいぶん敵もつくったし、まわりから批判されたこともあるのです、新聞に批判されたこともあります。しかし、彼が書いているものをみると、新聞の批判はたしかに身にはこたえるが、悪口を書かれれば書かれるほど商売が繁盛したというのです。

内容が善かろうが、悪かろうが、少なくともトランプという名前を新聞の第一面とか、第二面のトップで出してくれるということは、その後の商売にはものすごくプラスになったというわけです。だから、恐れてはいけない、何を書かれても有名にしてくれれば、ちゃんと採算はとれる、と書いてありました。おもしろい考え方です。

そういう考え方ができる人というのは、その裏に、そうとういろいろな批判を跳ね返すだけの自信があるのだと思います。自分がやってきた自信、バネが強いのです。足腰が強いのです。どんな批判が出ようが、何が出ようが、「ああこれは有名税だ。」と思ってスイスイと上がっていく。ニューヨーク市長などともどんどん喧嘩して、公然と批判して、それをてこにしてもっともっとガンガンやっていくのです。おもしろい人物です。なかなかやるなと思って読んでいましたけれども、そういう人もいます。

これなどでも批判を受けたらもうそれでだめだというふうに、イエス・オア・ノーで考えると、もうどうしようもありません。

世の中には、大なり小なり、右か左か、進むか、退くかを選択しなければならないような場面というモノがいつもある。このときに、イエス・オア・ノーしか考えつかない人は、かならず苦しみの渦中に陥って、挫折する傾向があります。

そのときに、イエス・オア・ノーだけではなく、もうひとつべつな考えはないかということを常に考えなさいということを、言っているわけなのです。
 これはひじょうに大事な考え方です。こうした考え方ができるのとできないのとでは、人生に大きな差が出ます。


………………以上が引用です…………………………

この 常勝思考の書籍を読んで 自殺を思い止まった方の話が布教誌に出ていたことがあります。

その方は 養護施設で育ち 親兄弟のいない方でしたが 成人され同じような養護施設で育った男性と結婚されてお子さんにも恵まれました。ご主人が運送会社を興されて家族の為にと頑張っておられたのですが、事故で急死され、借金と 幼い娘さんを抱えて 途方に暮れていた方でした。頼れる親兄弟も 親族もいない方でした。

そのときにふと立ち寄った書店で 光が出ている本を見つけて手に取ったのが この常勝思考という本だったと聞きます。

副題についた

人生に敗北などないのだ

この言葉が 彼女の心の奥に入り 人生を立て直すきっかけになったそうです。

改訂本になっていますが 長く読み続けられています。

常勝思考のパワーという章にはこのような言葉があります。

この世に生まれてきたということは、ほんとうにスイスイとものごとがうまくいくという事ばかりが前提に成っているわけではなく、いろいろな紆余曲折を経ながら、人格が一段と大きくなり、いろいろな経験を積んで、底光りしていくことを目的としているのではないだろうか。

そうした、大きな人生の目的というものを中心に考えてみると、この世の苦難や困難と言われるものの正体は、じつは違ったものに見えてくるはずだ、ということです。これがこの常勝思考思考の考え方の立脚点なのです。


 私達は、永遠の生命を持ち、転生輪廻しているという前提に立ったときに、この現象界の事件、あるいは経験というものを、違った観点から見ることができるはずであり、それは自分に対する大いなる糧となる経験のはずである、ということです。これが「常勝思考」の立脚点です。


 あらゆる知恵、技術なんです発想を総動員して、みずからの前に立ちはだかっているところの困難に、どのように対処していくか、そして対処する過程で得たものをいかに魂の力としていくか、これこそが勝負の眼目である、そう言いたいわけです。


したがって私達は、決して現実の問題を否定し、そこから遠ざかることのみをよしとはしていません。それは私たちの書物のダイ一冊目であるところの『日蓮の霊言』にあったように、「人生は一冊の問題集である」という教えにも表されています。

「人生は一冊の問題集である。そしてその問題集は各人が努力して解かねばならないものだ。」と、そういうふうに提言されているはずです。そうです。みなさん、一人ひとりが、やはり問題集を持っている。そして、この問題集は自分で解かなければならないのです。

今 困難な状況に見舞われている方も多いと思いますが 永遠の生命の世界からみると 
その状況も ひとつの魂の問題として 教訓を掴みとる為に 与えられている課題かもしれません。

めげるな

 諦めるな 

勇気を出せ

私も 大川隆法総裁の説法 著作の数々に
救われてきたように思います。

仏陀が悟りを開き説法した その説法が宝の山だということは まだまだ世界に知られていませんけれども、宝の山だと私は思っています。

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