勝てば官軍 負ければ賊軍というけれど メダリストの特攻平和記念館への言及

94歳で他界した義父が この言葉をよく口に出していました。

義父の6人兄弟のうち 年齢が達していた4人が戦地に赴いています。
義父は 満州で徴兵されたのです。

すぐ下の弟は 特攻隊にいくつもりでした。

戦争がまだ続いていれば その時に散華されていたでしょう。

夫が 下記の記事を 読んでご覧と送ってくれたました。

オリンピックのメダリスト早田ひな選手が特攻平和会館に行きたいと発言したことがYahooNEWSの記事です。


戦時中は持ち上げられた軍人は
敗戦後 しばらく様子を経つと 
 遺族の方々は 犬死のように言われたり
 とても辛い目に逢われたということも聞いています。


しかし、愛する者たちを護りたいという心は 自分や自分の家族を越えて 同じ同胞である民族や そして 植民地支配に苦しんでいるアジアの人たちをも救いたいという純粋な気持ちも その心の奥にあったのだと思います。


戦争屋に利用された犠牲者という側面を
語る人もいますけれども 
日本人の心にある武士道の精神は
そんなに軽々しいものではなかったと
思います。


しかし、今日本の自衛隊がNATOと共に 軍事演習するのは そこに 大義があるのでしょうか。






時が熱狂と偏見をやわらげたあかつきには
また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、
そのときこそ、正義の女神は!
その秤を平衡に保ちながら、
過去の賞罰の多くに、
そのところを変えることを要求するだろう

                           パール判決文より

この著書を書かれた田中正明氏は 次のように書いています。

日本には、昔から¨勝てば官軍、負ければ賊軍¨ということわざがある。東洋的諦観とともに、これほど正義を冒涜し、法の精神を無視したことばはない。と同時に、これはすこぶる危険な思想である。
 どんなに悪逆非道な手段に訴えても、勝ちさえすればいい、勝てば官軍で、権力の座につき、自己の不正をおおい、真実さえも曲げて、白を黒といいふくめることも、時には歴史を書きかえることさえできる。だが、負けたが最後、どんな非道な仕打ちをされてもやむを得ないという諦観、これが当然のこととして、なんら奇異とも理不尽とも思われずに、日本人の思念の中に共通しているということは実に恐ろしいことであり、悲しいことである。
戦争の勝敗は時の運で、正・不正は勝敗の外にあるはずだ。敗れたがゆえに罪悪なのではない。勝ったがゆえに正義なのでもない。¨法は一つである¨この一つの法に照らして、これに沿うものは正義であり、これに背くものは不正である。すなわち戦争の正・不正は、すべて国際法学の理論のなかだけに存在しているはずである。
「法律のないところに犯罪はなく、法律のないところに刑罰はない」これは法治社会の初歩的な原則である。法律案なくして人を裁き、法律なくして人を処罰することは、野蛮時代の私刑リンチとなんら変わることがない。ところが東京裁判では、法律のないところに無理に「裁判所条例 チャーター」という法律をつくり、法の不遡及の原則までも無視してこれを裁いたのである。勝った方が敗けけた方の大将をさらし首にし、敗けた国の兵士や婦女子を奴隷にしたり掠奪した野蛮時代と本質的にどれだけの相違があるというのだろうか。

パール判事の日本無罪論


東京裁判で裁かれた軍人や民間人は
事後法で 裁かれています。



プーチン大統領を 100%支持するわけではありませんが 欺瞞に満ちた西側諸国の 民主主義や人権という言葉の裏側にある現実は プーチンの言葉通りだと思います。

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