自己処罰感情・恐怖感に向き合ってみる…信仰者の心の修行
天使のモーニングコール パーソナリティー
白倉律子さんの動画でした。
信仰者の日常、心の修行。
自分の心のなかをコントロールすることは結構難しいことがあります。
過去を振り返ってみると 朝目覚めて何か胸が押し潰されそうな恐怖感を抱えているということがありました。
それは 今回の人生で 初期の頃に両親を喪ったり、引きこもり状態になっていたこととに起因していたのかと思っていましたが
もっと根深い問題もあったようです。
この恐怖感は何から来るのか?
仏法真理にであってからも なかなかに解決がつかないことがありました。それは まだ大川隆法総裁先生の教えを 情報として知識として学んでいただけだったからでした。
病気をした時に その原因に思い至ることがありました。
食事なや 生活習慣が 根本的な問題
ではなくて、
自分の心のなかにある恐怖感や罪悪感が呼び寄せたものだと 気がついていました。
過去世から持ち越してきた思い カルマとも言いますが、
過去に どこかで 大きな天変地異などを経験して大切な人たちを失い 助けることができなかったという思いが あるように感じたのです。
白倉さんの動画では
瞑想の時間に神様との対話をされています。
この毎日の生活のなかで反省と祈り 瞑想の時間を取ることが 魂にとって非常に大切なことなのですが、忙しい日々のなかでつい疎かになりがちなところでもあります。
神様との対話するまでの 深い瞑想の時間を日々の生活のなかで持たないままに過ごしてきて 限界がきたときに病気が発症したようです。
潜在的に持っていた 恐怖感と本気で向き合って それを克服しなければ いけないことを病が教えてくれたようでした。
自分の心のなかを見ると 浅いところに埋まっている自我でつくってきた 思いが沈澱して潜在意識にまで影響を与えています。
過去世のどこかで魂の兄弟が 文明が消滅するような天変地異であるとか、戦乱で国が喪われるてしまうような時代をいくつか経験してきたように思えるのです。
チベットや ウィグル の人々の苦境に胸が痛くなるのも、地震などの災害に動悸が激しくなるのも、自分も過去 その世界に身を置いて なす術がなかったか、あるいは 大切な人を置いて自分だけが生き残る道を選んでしまったか。そのような後悔が心の深いところに眠っているように思います。
怒りや 悲しみ 苦しみを 魂のどこか奥深くに押し込めていて それが今回は表面意識にあがってきたようにも感じられたのです。
今世の人生では仏に出会い、仏の教えに出会うこと計画して生まれて、歴史のなかで過酷な人生を生きざるを得なかった人々の人生の意味を 教えて欲しかった。
そういう思いがあったように思います。