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神人合一説…縁起の理法 人間は神に近ずいていくことができる

1994年7月に慣行された
『心の挑戦』もオーディオブックとして
YouTubeにあげられていました。
幸福の科学は 献本活動で法を伝えようとしています。
一人ひとりの心の琴線にビッタリ合うものがあれば良いのですが、なかなかそういうわけにいきません。

大川隆法総裁が3500冊も書籍を出し続けている理由も様々な切り口から人の心に届くものから仏法真理にたどり着いて欲しいと考えられているからだと思います。

この心の挑戦 第一章は 仏教の「縁起」について説かれています。

神人合一説と神人隔絶説

という言葉を効いたのはこの書籍からだったと思います。

人間と神が別の存在ではない。神の子として精進を続けるうちに神に近ずいていくことができるという思想から 自助努力の教えも出てきます。

悟りを開いて仏陀になるという仏教の基本があります。

人であったものが神になりうるーそれが仏の思想


神仏に助けられる一方の弱々しい存在ではないということが根底にあるのだと思います。

ただ、この考え方だけでは 人間は傲慢になっていくようにも思います。

神人隔絶説は 罪深い人間が神仏により救っていただくという教えなのでしょう。ここには小さな人間の計らい心を捨てて大いなるものの前に謙虚になるという 信仰の姿勢があると思います。



神と人間では住んでいる次元が違いますから
神と人間は、一緒ではありません。しかし、また、同じものを含んでいる。同じものを含んでいるけれども、その進化の程度違う、あるいは、光の出し方の程度が違う、そういう考え方をとっているわけです。

人間の魂はどこまでも進化していくことができる。神に近すいていくこともできるが!反対に魂の自由性を間違った方向に使えば退化していったり、あるいは悪魔的存在になってしまったりすることもあり得ます。

縁起の理法は万人に働いています。

縁起の思想は大宇宙の理法と同じ



自分の撒いた種は必ずしも行為を伴っていないかもしれませんが心の中に撒いた種も同じです。その撒いた種が良きものであったか 悪しきものであったかで天国も地獄も分かれてくるのです。


魂の一定の法則があり 思いと行動が地獄的か天国的かということで死後も行き先が決まるということなのですね。もちろん生きているときの心が地獄的になっていれば、それを自分で修正していかないと心が現象化して、現れてきます。


罰ではなくて法則性のもとにあるということですね。

こういった宇宙の法則と言っていいものを 古来 正しい宗教は教えてきたはずなのです。

心の法則性を教える教師として 仏陀もキリストも来られたのだと思います。

しかし、地球の80億にならんとする今キリスト教国でも仏教国でもこうした教えが形骸化していっています。一方 この世がすべてだという唯物論や無神論の考えが拡がっています。
この地上に生まれたことを縁として本来は
神仏へと向上していく魂たちが
地獄に大多数赴いていく世界になってきました。

地球神が地上に降りて新たに教えを説かれルのはこのような時代を越えて 新しい未来の文明を開くためです。


ここには
真理を、宇宙の理法を、縁起の理法を掴んで自らを変えていけば、自分で自分を救うことができるという力強い思想があります。

釈尊が説かれた教えも 幸福の科学の教えも
何かを信じたなら 救われるといったものではないということなのです。

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