エル・カンターレの仏法真理から 死について考える

Soramentさんが あげておらる記事の 大川隆法先生のご法話抜粋からです。


大勢の人々の、死後の姿を見るにつけても、「ああ、ほんとうに、心の準備ができていなかったのだな」ということを、つくづく思います。そもそも、

死後の世界があること自体を知らない人、認めていない人が大多数ですから、まったく準備のしようもありませんが、死は突然に来るのです。


「もし、きょう死ぬのだったら、あれもしておくべきだった。これもしておくべきだった」と思うことはたくさんあるのです。したがって、「死のための準備は、生まれたときから、もう始まっているのだ」ということを知らなければいけません。


ガンなどになり、「残り半年の命」、あるいは「残り一年の命」と宣告されて亡くなる人もいますが、その不運を嘆く必要はありません。百人が百人、やはり、何らかの死因で必ず死ぬのです。


老衰して死ぬのが幸福かもしれませんが、ガンであれ何であれ、必ず死ぬことは死ぬので、それに対して、不幸を、不遇を嘆いたりしても、しかたがないのです。

「必ず死ぬ」ということについて、覚悟はしておいたほうがよいわけです。

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がんの手術を3回したあとに 腹膜炎でも緊急手術をしました。

腹膜炎は 五分五分のところで手術が間に合ったということで した。
病院に行くのが遅れていたら敗血症で命を落とすこともあったらしいのです。


死は突然にやってくるという覚悟はしておいた方がいい


本当にこれは 正しいです。

でも 小康を得て 毎日が平凡に過ぎていくときは その覚悟というのは 薄れていくものだともつくづく感じています。
凡人の性という悲しさでしょう😓

明治や 大正生まれの方が身近にいた時代は
戦争を経験されたこともあったからでしょうか。「死」についての覚悟は 現代の我々よりもあったように思います。

コロナ禍では、テレビ報道で恐怖心を煽られた高齢者が ワクチン接種会場に長蛇の列で並びました。
長尾クリニックの長尾和宏さんの著書を読むと 早くワクチンを打って欲しいと望むお年寄りの声も多かったようです。移される事を怖れて 近隣で発熱患者を診ることに対してのクレームもあったようなのですね。

未知の病気は確かに怖い。
感染して死ぬのも怖い。
病気で苦しむのも怖い。

本当に その気持ちは 私もよくわかります。

ただ思ったのは

戦後70年以上の日本人の生活は 
死に対しての 免疫が 生活から失われて 

「 今日死ぬかもしれない」という覚悟が失われた年月でもあったように思えます。


皮肉なことに 命を守るつもりのワクチン接種が始まってむしろ超過死亡や突然死が増えていきした。

でも 私たちの多くは死の準備が出来ていない

死後の生活の事もなにも知らないままに
突然に肉体生命を失ってしまうのです。

先日 息子に勧められた「ディア・ファミリー」という映画を見てきました。家族愛とモノ作り、医学部の権威主義等 いろいろと考えることが多い映画でした。

感動の多い映画だったので 原作の
「アトムの心臓」を映画を見たあと直ぐに書店で求めました。

文春文庫です。

映画では描かれていなかった ことが幾つかあります。

そのなかでも 心臓病で長くは生きられない次女佳美さんの透明感がどこからくるのか。

 私はいいから他の人を助けてあげて
お父さんとお母さんを誇りに思う

という彼女の言葉。

映画では

 息切れがあるために ベビーカーのような車椅子に乗って下校する佳美さんを「赤ちゃんみたい」と囃す同級生を姉である奈美さんが追いかけて馬乗りになってやり返すといったシーンが ひとつだけありました。

でも 本当はもっと学校では酷い いじめが続いていて 学校でお母さんが話し合う場面もあったようです。

病気に加えて いじめがあるなかで 少女はどのような心を育てていったのか。

家族の愛に包まれていましたが もうひとつ 
彼女を支えているものがありました。

彼女は キリスト教会に通う信仰を持ち 洗礼を受けていました。ここは映画では全く描かれていなかったところでした。

映画を見たあとに 原作で彼女の信仰を知って

神仏を信じる者としては ここも描いて欲しかったなという感想はありました。
家庭が浄土宗なのです お父さんが反対されたそうですが 次女の佳美さんだけが 洗礼を受けたそうです。

お母さんや他の姉妹たちも教会には通われたようですが お父さんが 佳美さんだけに洗礼を許したのは、佳美さんの地上での命が長くないことを思っていて彼女の望むことをすべて叶えてやりたいと思われたのでしょう。


10代の子供が 自分の命の有限性を 常に意識させられるなかで イエス様との出会いは どれだけ大きな慰めだったかと思います。

死に直面するときに 死ねばなにもなくなるという唯物論の世界と 永遠の生命の世界を信じる世界と どちらを信じるかどうかで その思いや行動は変わってくるものがあります。


私たちは 日本人は 戦後の教育のなかで 永遠の生命の世界の存在を忘れて、今、目に見える世界だけに閉じ込められてしまったのではないでしょうか。

中国に どんどん似てきた 政治や経済の世界を見ると

 日本を動かす人々や 彼らをリーダに押し上げる私たちの多くに 神仏を信じる人が少なくなったからだと思います。

宗教の組織に所属していたとしても、本当はご利益を求める

商売繁盛
良縁
病気平癒
健康長寿

等 この世での 自分や家族という限られた
人々への御利益を願うような 信仰ではなく
自分にその利益がなくとも多くの人への愛に生きることを喜びとする信仰の世界に到達していない事も多いのではないかと思います。

ディアファミリーのお父さんは バルーンカテーテルという医療器具の開発に 製品化まで 並外れた熱意で取り組まれました。

 娘を助けることができなくても 他の人を助けてあげてという 佳美さんの思いが 多くの心臓病の人たちを救うものへと繋がっていきました。

愛は 個人的なものからはじまっていても
より大きな愛へと育っていくことがあります。この地球は 悲しみも昇華させてより大きな愛へとめざめる為に 仏によって用意された星でもあるのです。

私たちは 地上での時間のなかで幸福で 健康で 長く生きる事を望みます。

聖書のなかでイエス様がラザロを復活させたように、信仰を持つものには 時には奇跡的ご臨むこともあります。
しかし、信仰で そうした望みが叶えられないときにも 主を信じ、霊的世界があることを信じるときに 私たちは 永遠の生命の世界を垣間見ます。

肉体の生命を失った方々が 迷わずに 霊的な世界へと移行できますように。




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