心を変えれば環境が変わる

他人のせい 環境のせいにしてはいけないというのは 幸福の科学で度々 たびたび 教えられていることです。

そして、心を変えれば 環境が変わるということを 何度も説かれています。
でも これを なかなか実感するところまで
自分を変えることは「 いまだ道 遠し」というところです。

例えば 日本のコロナ対策や 今朝も北朝鮮からミサイルが発射され 日本の危機が間近に迫っているというのに
議員席にいることだけしか考えていないかのように見える国会議員。

ワクチンによる後遺症が明らかになりつつあるなか、ワクチンリスクを懸念する人に反ワクチン派と軽んじて、4回目もワクチンを打つという人。

こういう 事例を目にすると 感情が ザワザワしだします。

そして、宗教を十把一絡げに 悪しきものだとみなして叩いているマスコミ報道と それに同調している人たちにも 心が穏やかでいることは難しいときがあります。

そういった 世間からの情報を一切遮断すれば心は平静で穏やかでいられるのですが、現実に生きているということは そういう訳にはいきませんよね。

自分が 何に心を揺らすのか、何に怒りを覚えるのか どういうときに不平不満や 愚痴が出てくるのか

これを 観察していくと 自分が本当は何を求めているのか分かってくるような気がします。

私が 一番言われて腹が立つ言葉に

「あなたは 自分のことしか考えていない」

というものがあります。

何故 この言葉に腹が立つのかというと、自分こことしか考えないのは良くないことだという 私自身の価値観があり 

その基準に達していない自分を指摘されたことに対する怒りがりで出てくるのです。

今 日本で起きているおかしさについても 腹を立てているのは、日本のリーダー足るべき人に「自分のことしか考えていない人が増えたからだ」と 感じているからなのです。

でも そこで 立ち止まって 自分が その立場に立ったときに 自分は彼らと違って 自分の利益を度外視したり、所属している組織から村八分にあったりしても 自分の正しいと思う信念を貫き続けることができるだろうかと考えると 百パーセント YESと言えない自分を発見します。

自己保身ですね。

自分の心のなかにも 自分が批判している人々と同じ心があるのに 批判したり 環境のせいにしている…

人の心は変えられない 変えられるのは自分の心だけだとも教わります。

その変えられる自分の事腹が棚上げして

 他人や環境が悪いと糾弾している自分はどうなのか。

病気を治す心構えという説法のなかで

あなたがたは、その信仰心を強めることによって一切の悪から決別してください

自分を幸福にすることによって、世界のユートピアが前進することを心の底から祈ってください

という言葉にであっています。

体調のよいときには 聞き逃していた言葉も自分の残りを時間を真剣に考え出しときに 言葉の深い意味に思いが届くことがあります。

ここでいう幸福とは 何なのでしょう。

六大煩悩である、(貪・瞋・癡・慢・疑・悪見)から自分の心を自由に解き放つことが仏がいう幸福ではないかと思えるのです。

結局 相対的な 他人との比較、環境の良し悪しによる幸 不幸感覚というのは あくまでも相対的な世界での幸福ではないか。

絶対的な幸福を 掴んだ人間にとっては 価値の無いものを幸福だと思って それが満たされないために 憤ったり、嘆いたり、他人を羨んだりしているのではないか。

相対的な世界のなかで あれが足りない これが足りないと私も言っています。

自分を 被害者にして 親や上司や 親族 同僚、政治家、政府を裁いてしまいがちです。

しかし、本当に 自分を幸せをしたければ、自分の責任を考えないといけない。

自分が流されてしまったのを他人のせいにばかりしてしまうと 自分たちの未来を自分たちで創ることはできなくなってしまう。

他人や環境に問題があっても 自分を幸福にする人が増えていけば 世界も変わってくる。

 きっと世界を変えていくことになるのかもしれません。

多くの問題があっても、この世界で何かを学ぶために 何かを掴むために 与えられている環境なのだと思います。


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