昭和と平成

いい人をやめると生きるのが楽になる

といった書名の本が 書店にはいつも並んでいる。

それだけ 生きづらく感じている人が多いということだと思う。

最近 毒親とか親ガチャという言葉でをよく目にして、親のせいで 自分の人生が苦しいのだと考える人が多い。

でも、その親もまたその親から 育ってきたのだから 親の親もまた毒親❓️祖父母から毒祖父母だったのかと 際限無く続いてしまう。

昭和の時代 のテレビドラマの脚本家に

花登筺(はなとこばこ)という 脚本家がいた。

私が 覚えているのは「細腕繁盛記」

旅館に嫁いだヒロインが夫や親族のスサマジイ苛めにも耐えながら家業を盛り立てていくという話だ。

この脚本家には 奉公に上がった少年が立身して商売で成功を修めていくストーリーが多かった。

昭和の時代も 高度成長期を遂げるまでは貧しく 集団就職で中学を卒業したら 都会に働きに出る人も多く、そのなかで いじめや虐待に近い仕打ちを受けた人もいたのだと思う。

そのなかで どう生き抜いてきたのか。

世界でもヒットした「 おしん」も そうだったが、昭和の日本には 環境や親が 理不尽で理想的な存在なものでなくとも そんなものだと なんとなく多くの人が了解していたように思う。

昭和の時代に生まれ育った親から 平成の時代になると 価値観が変わってきている。他人との比較が容易になり、不幸感覚も強まったような気もする。

親がよかれと思っていたことが 子供にとっては 逆にトラウマになってしまっていたりする。

現代は 多様性 多様性と云われるているのだがSNSの発達で 逆に多様性は失われ 日本人はより不幸感覚も強くなってしまったのではないか。

他人との比較 他の家庭との比較。

相対的な世界に生きていると なかなか 心は安定しない。他人との比較で 自分はダメだと思ったり 価値が無いと思ったりする。

家庭でも 学校でも 職場でも 地域社会でも。

他人との比較という、相対的な世界から抜け出した時、自分固有の人生を愛そうと思ったとき

違った地平線が見えて来るのかもしれない。



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