布施の心 中部正心館にて考えたこと

数年前、静岡県の浜名湖湖畔の 幸福の科学の施設 中部正心館に宿泊したことがあります。

最寄り駅の新所原駅 しんじょばらえき
のプラットホームに 降りて 周辺を見渡すと 整備された広々とした景観が 目の前に開けています。(当時?)

人家はそれほど目につかないので 1日の昇降客は それほど 見込めないのでは?

と思われたのに
駅舎は立派なもので  両サイドに真新しいエレベーターとエスカレーターが 配置され、足腰の弱い人にも優しい設計です。

人口が そんなに多くはないはずなのに これだけの駅舎を作るのは
JR東海さん  流石だなあと思っていました。

最寄り駅から中部正館館までは かなり距離がありますので  送迎シャトルをお願いしておいて 迎えに来てもらいました。

シャトルの車を運転してくださった 方に
「とても立派な駅ですよね。人家も周囲にそれほど無いのにこれだけの駅を作るのは、JR東海さんが 先々 この辺りを開発されんですかね?」とお尋ねしました。

すると
「いえ これは 地元の方々の寄付によるものなんですよ」という言葉にビックリしてしまいました。

地元の人達が 寄付を募って駅舎を便利にするということは あまり 聞いたことがなかったからです。

最近は 何かと
行政に何とかして欲しい
補助金を出して欲しいという

と動く組織も多いですけれど
自分たち地元の力で 環境を整備しようという 地元に対する愛や 貢献の心が ここには しっかり残っているのだなぁと思ったのです。

そういえば、
江戸時代 大阪の淀屋という豪商が
治水して 橋を作ったという話もあります。
お上ではなく 民間の力で 橋を作り
それが いまも、淀屋橋という地名に残っていて 市役所などの官庁街の最寄り駅になっているようです。

しかし、淀屋は時の幕府に睨まれて財産を没収されてしまったとも聞きます。

民が豊かであれば 民の力で出来る事も何かとあったはず。しかし、政治の権力を握ったもののにとっては それを喜ばない力が働くのかもしれません。

豊かになった個人が 公の福祉のために私財を投入するという美談は、昔はよく聞いたものです。

それは布施の心だと思います。

自分の富を 蓄えたあとは
その富を世間にお裾わけする分福という考え方があります。

豊かになった人が こうした布施の精神を持つ限り 豊かなお金持ちが 次々と出てくるのは良いことだと思うのですが、
共産主義思想の人達は
どうも そういう分福の考えや布施の精神
を理解されないようです。

だから、 税金を
お金のある者から
強制的に徴収して
 貧しい人達に
配れば平等になるという考えをされます。

怖いことに 共産主義革命の起きた国では 多くの人が殺されて財産を奪われたりしています。血で血を洗うような粛清が起きているのです。

その結果できた国家が 平等なものになったかといえば
そうは なりませんでした。

結局 お金を分配する権力を持った官僚たちや

一部の政治闘争を勝ち抜いた権力者によって

富は 庶民の目からうまく隠された形で 独占されたり
人々の 新しい富を産み出そうという自助努力の精神を 破壊してしまったのです。

豊かさを 生み出す 精神の破壊は 恐るべき事です。

子ども手当の所得制限がなくなるそうですが、
その子供を手当ての源泉は
子供を持つお父さんお母さん方も 払っている 所得税 住民税、消費税 酒税 ガソリン税 重量税 固定資産税、印紙税、強制徴収される社会保険料等々
あらゆる形で国に吸い上げれる その人達のお金です。
国民を 税金責めにして
国民を 貧しくしておいて
国民から 吸い上げたお金を
ばらまくことで
政権を維持しようとする
政権の正統性を国民にアピールする

今の日本の姿です。

社会主義 共産主義の考えは
一見は優しげに見えるのですが

長期的に見れば大きな毒を持っています。

本当の優しい社会を作るには
自助努力の精神と
成功した人々を祝福する心と
布施の精神が宿ることではないでしょうか。

布施の精神が 私たち一人ひとりの心に根付くことができたなら

今だけ 金だけ 自分だけの
殺伐とした社会は
消えて行くと思うのです。



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