反省の意味と 35年ほど前に統一教会の人と反省について話したこと
もう ずいぶん昔のことになるのですが、統一教会の原理研究会の人に伝道されて話を聞いたことがあります。
そこで 聞いたことでは 仏教霊界は 低い霊界だということや 再臨復活ということはあるが 仏教でいう転生輪廻はないような話で ずいぶん疑問を持ったのを覚えています。
後に 幸福の科学の書籍に出会ってから 祝福家庭という統一教会の信者さんの奥さんと話すことがありました。
その時に 統一教会には 反省の教えがないですよね。と私が言うと、いや 反省はあるよとのこと。
当時は、私もまだよくわからずに幸福の科学の教えの上っ面だけを知っているだけだったので それ以上 話は深くなりませんでした。
幸福の科学で、拙い私が学んだのは 簡単にいうと
人間は霊的存在である
他人のせいや環境のせいにしては行けない
自分の思いや行いをで蒔いた種は自分で刈り取らなければならない
愛 知 反省 発展が四正道であり 幸福に至る道
現代はエル・カンターレという本仏降臨の時代である
といったことでした。
知識として知るということと 信仰として魂で掴むということは 全く意味が違います。
当時は 知識として知った という段階でしたので 「愛」「知」「反省」「発展」と聞いてもそれが どう幸福に繋がるのか 自分のなかで消化できずにいました。
反省ということの意味を軽く考えていたのです。
例えば
子供がいたずらや兄弟喧嘩を親から叱らたときの「反省しなさい!」や
仕事上でミスや失敗をしてしまって上司から「お前 反省しろよなぁ…」と嘆息混じりに言われるような場面を想定していたのです。
統一教会の人の言った 反省も 毎日 一日を振り返る反省会などは開いていたようですが どうも 活動に対しての行為の反省や アベルと呼ばれる上位者に対して従順でなかったというような反省といった 表面的な事を指して 反省していると言っていたように思えます。
でも 本当の反省の意味は 自分の本質に気がつくというところにあります。
自分の仏性に出会う、神仏の子としての自分に目覚めるということが 反省の目的であってそこを 抑えていないと、こんなに悪いことをした あれはは間違っていた 今度からは そんな間違いはしないでおこうという 程度の反省で終わってしまいます。
反省とは自らの仏性に出会う旅 そんな風に思ったりします。