心の三毒(欲望、怒り、愚かさ)が挿入歌になるとは😳
仏教では 六大煩悩 や心の三毒という言葉をよく聞きます。
貪(欲望 足ることを知らない欲)
瞋(怒り)
癡(愚かさ 無明 真理を知らない)
この3つが心の三毒ですが
映画のなかで 見事にドラマとして織り込まれているのです。
そして 挿入歌も そのものズバリ
「 心の三毒」
お年寄りを騙してお金を奪う悪い男と手駒として使われる若い男性には この歌詞
🎵信じていたのに裏切られる どうして嘘を道具に金を稼ぐの この世の生命を生かしても あの世の生命を捨て去れば 人の道を見失う 醜い貪欲打ち砕く 仏の慈悲を悟るべし
この世の生命を生かしても、あの世の生命を捨てされば
という言葉に いろいろなことを考えました。
ワクチンの危険性を知っていても それを隠している業界や政治等は この世の生命を生かすという気も ひょっとしたらないかもしれないけれども…
家庭内暴力の夫婦や 地位や財産を餌に女性を騙す御曹司の姿には この歌詞かなぁ
🎵信じていたのに 冷めた愛 計算高い愛なれば 利害ともに消えてゆく 愛していたものを 憎んでしまう この世の不条理 しょせん 諸行は無常なり
計算高い愛なれば 利害とともに消えてゆく
という言葉には ドキッとさせらました。計算高い愛は どこにでもあるかも。自分が愛していると思っているものも 計算高なくなっていないかと思うと 夫婦や親子の間でも 考えてしまいます。
3つめは 唯物論の大学教授の話
🎵目が視えるはずの人が 魂を知らず 目が視えないはずの人が 魂の存在を知る 神も仏も知らずして いかなる智者もありえない 唯物論の悲しさよ 夢幻の世界を彷徨(さまよ)うか
目が視えるはずの人が魂を知らず 目が視えないはずの人が魂の存在を知る
目が視えるはずの人というのは、これは きっと 現代社会で学歴偏差値に基づいて、科学的根拠のないものは存在しないと言い張るような、唯物論の人たちや 世間で賢いと思われている インフルエンサーなどを指すのでしょうね。
でも その賢さというものは
神も仏も知らずして いかなる智者も存りえない
とバッサリと斬られているのです。
そして 呪い返し師 塩子の 役割が
🎵ああ「心の三毒」振り払う 「貪」(とん)は欲望
「瞋」(じん)は怒り 「癡」(ち)は愚かさ 三毒を払い、返して 堕地獄から救う それが私の使命 ああ 塩子 見参す ああ 塩子 見参す
というものになります。目に見えない生霊や悪霊、悪魔と闘って払ってくれる存在としての塩子ですが、生きている私たちの心の中の悪を見抜き、バッサリと斬る存在でもあります。
だから 心のなかに悪を抱えている者にとってその一喝は 怖いものでもありますが、でもそれは堕地獄から救う 仏の慈悲でもあるわけです。
永遠の法には このように語られています。
魂というものは永遠です。魂には永遠の生命があるのです。永遠の生命があるということは、調和された生活をして生き、心が美しく、死後は天国に還った人たちにとっては、このうえない福音です。なぜなら、素晴らしい世界のなかで、生命を全うしていくことができるからです。
しかし、地獄に堕ちた人たちにとっては、永遠の生命があると
いうこと自体が、一つの罰、懲罰なのです。生命がひと思いになくなってしまえば、地獄で苦しむことはないのですが、生命はなくなりません。このこと自体が、彼らを罰しているのです。
人間は、こうした真実の世界を知ったならば、「地上に生きているときに、悪いことを思うことも、悪いことをすることも、ほんとうに割が合わない」ということが分かるはずです。
「永遠の生命などなく、この世かぎりの人生だ」と思っているからこそ、やりたい放題のことをし、人を傷つけ蹴落としても偉くなろうとしているのです。ところが、その結果、地獄に堕ち、永遠の生命どころか、永遠の苦しみのなかでのたうちまわることになるということを知れば、どれだけ割が合わないかを知るに至るわけです。
この世で一個よいことをすると、あの世で十個よいことをしたくらいの価値があります。この世は非常にむずかしい世間であり、魂は ゛目隠し゛をされた状態で修行をしているのですから、そうした手探り状態のなかで天国的なる生活を展開することには、あの世での修行
の五倍十倍の価値があるのです。
数十年間、この世で天国的生活を送った人には、その行いがあの世では十倍にもなって返ってくるのです。この世はそうした価値ある世界でもあります。
しかし、この世で、「このくらいのことはいいだろう」と思って犯してきた悪の数々も、あの世では五倍十倍となって返ってきます。こうした厳しい事態が待っているのです。
ほんとうの意味で自分を大切にする人間ならば、悪いことはできなくて、よいことしかできなくなってくるはずです。ほんとうの人生観、ほんとうの世界観を知ったときには、そうせざるをえなくなってくるのです。割の合わないことは誰もしないのです。
ましてや、地獄に行くような人というのは、割の合わないことは非常に嫌いなはずです。彼らは「自分のやっていることが割に合わない」ということを知らないのです。したがって、そのことを、彼らに一日も早く気づかせてあげる必要があるわけです。
霊界があり、あの世があると知った上で 神仏の考える 善悪の基準があると知ると 生きている間の間違いも減り 地獄に行く人を 減らすことができます。
生きている数十年の過ちが あの世では数百年の苦しみになれば 確かに割は合いません。
生きているときに 気がついて🙏
そうした祈りを込めて 映画に誘っている信者さんの気持ちもあることを知っていただければ嬉しいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?