信仰と愛 神の言葉が臨んだ時ーもしそれがあなただったら
1990年3月31日 千葉の幕張メッセで行われた大講演会です。
1990年のこの「信仰と愛」。誠実に努力を積み重ねて来た青年が ある日を境に、 神から 使命を告げら、使命に射きる軌跡を語った説法の言霊は 胸に迫ってきます。
~ーーーーーーーーーーーーーーーーーー~
1981年の春3月、うららかな日でありました。
その日、私に、私の人生を画するべき大きな事件が起きました。
それを事件と呼ぶには、あまりにも遠い過去のようにも、つい最近の過去のようにも思えて、言葉を選ぶことさえ難しいのでありますが、その春の陽射しのなかで、確実に何者かが私を揺さぶりました。
1981年の3月23日、午後の2時を過ぎた頃であったでしょうか。
私はその時のことを、今も忘れることはできません。
それまで二十数年間、神仏の存在を疑ったことなど一度もありませんでしたし、 目に見えない霊の存在があるということを疑ったことは、一度もありませんでしたが、 それにしても、
そうした世界の存在を証明する役割が こともあろうにこの私に降りかかってくるとは、ついぞ考えつくことはできませんでした。
ああ、いまこの日本に生命を持っている一億二千万の人に、どうやったら私がいま感じているものを、知ってしまったものを 伝えることができるだろうか。
五十億人を越える世界の人々に、 私の命があるこの数十年のうちに、 どうすれば この真実を伝えることができるだろうか。 ……………………………………中略……………
神よ 、なぜ、私を選ばれましたか あなたを知り、霊界を、信じるということは そんなに難しいことではありませんでした。
けれども、私は自助努力の人であったのです 。自らの力で自らの運命をつかみとってゆきたいと、強く念ずる人間であったのです。
どうして、今世かぎりの、私のこの力によって、人生を生きることを許してくださらないのだろうか。 私の努力を越えた世界のことを なにゆえに仕事として私に命じられるのだろうか。
願えることならば、我が命を奪ってほしい。 あなたの偉大なる存在を知ったその日に 我が命を奪ってほしい。 さすれば、我の悩みもなくなるであろう。 さすれば至福のなかに、我はこの世を去ることができるであろう。 永遠の幸福をこの手にすることもできるであろう。
しかし、神は沈黙のなかに私をおかれた。 そうして、
その荒野を、荒野を、方途なき道を、 自らの足で歩んでゆけと語られた。
沈黙のうちにー
…………………………………………中略……………………………
もし、立場を替えて、 みなさまが私とまったく同じところに立ち、
同じ使命を与えられたとしたら、 どうしますか。
他の人びとに見せることもできぬ神を信ぜよという言葉を、
他の人びとに話すこともできぬ高級諸霊が 現に存在し 私たちを日々導いているという事実を どうやって伝えますか。 この数多い人びとの一人ひとりに、 魂の兄弟と言われる守護霊が確実についていて、その人生を見守っているという事実を、 どうやって伝えることができましょうか。
……………………………………………中略…………………
それを気安く、それをたやすく
「信じよ」と
あなた方に私が言うことができるでありましょうか。
されば、私は、我が身をもって、 この身を証明台として、
我が一生をみなさまへの証明として、 生きている証人としてお示しする以外に方法がないと思うのです。
命あるかぎり、我が身をこの事実が真実であると訴えかける以外に、私の道はないのです。
一度ならば嘘だと思う人もいるでしょう。 二度ならば、疑う人もいるでしょう。 三度ならば、どうですか。 少しは考えてみようと思われるでしょう。 四度、私が同じことを言ったらどうしますか。 少しは、いくぶんかは、真実がそのなかにあるかもしれないと思ってくださるでしょう。 五度言ったらどうされますか。 十度繰り返したら、 五年、十年、二十年、三十年、四十年、五十年ど、一貫して私が同じことをいい続けたら、みなさまは、どう感じていただけますでしょうか。
神の声を、言葉を伝えているという人間が、
その一生を通して訴え続けるというのであれ、心ある人間であるならば、
必ずやいずれかの時に、 必ずやいずれかの折りに、 いずれかの場所で信じていただけるものであると、 私は願うのであります。
……………………………………………………………後略………
1990年代 前半ほとんど講演会は行っていませんでした。本のみで幸福の科学の教えを学んでいる状況でした。家族の理解が得られなかったのと 私自身 大川隆法総裁が主エル・カンターレだと 3億年ぶりの降臨だと 聞かされると白けてしまう時期でもあったからです。
ですので、信仰者というよりは 知的好奇心というところで 距離を起きながら見ていた時期でもありました。
ただ 霊言や講演集を読んで 「内容は本物 である 」というのだけは 確信していたように思います。
私にとって 最大の難関だったのは、信じることでした。
なぜ人が神様になれるのか ということ これは20才の頃 統一教会に伝道されたときのトラウマがあったことも関係しているかもしれません。
ここも また 人を 神様扱いするのは おかしくなるのではないのか という疑問と
エリート街道を歩まれていた人が 宗教家になることへの反発のようなものもあったと思います。
しかし 毎年 毎年 日々
大川隆法総裁は 説かれ続けました。
10年経った頃 私の疑念は融けてゆきました。本一冊ですぐに理解できた方もいますが、私はそうではありませんでした。
説かれる教えのひとつひとつ 出される教典の1冊1冊が 私の心を耕してくれたように思います。
30年以上の 歳月が過ぎました。
いろいろな事件もありましたが
仏の教えの根本は何も変わっていません。
真実は真実であると伝え続けられています。
仏陀 が悟り 説法する その教えが 宝の山
人類にとっての愛なのだと思います。