信仰と愛


1990年の法話をどなたがユーチューブにあげておられました。

1981年3月23日に大川隆法総裁に霊的世界からの言葉が降りてきた当時の話を語られた説法です。

いま3月23日は大悟祭 という 幸福の科学の記念日のひとつになっていますが、それが どれだけの重さを持つのものか 改めて感じるお話でした。


個人として信じることは容易い。
しかし、私が知ってしまった世界を

この日本の地で 1億2千万人の人に伝えること

これがいかに困難なことであるか

この説法のなかで この言葉が胸を打ちました。召命 ー神から使命を告げられたときに
それを受けとめることができるのでしょうか。


旧約聖書は 私も読んだことがありますが、
預言者が 最初は その言葉を人々に告げることを拒んで逃げたような話もあります。

それは その託された神の言葉が

 当時の人々にっても
「常識」であったり「耳障りのよい言葉」
では ないからだと思います。

この動画で語られた内容も 
やはり 厳しい。


日本の高等教育を受けてきた人が
自分の使命を告げられたときにの話
になります。



信仰という言葉は 簡単にこの地に根付いたものではない。

命を賭けて 神の言葉を護り伝えた人たちが連綿と続いて きた歴史のなかに打ち立てられたものでありました。


この1990年の説法より30年経て 3000を越える説法が為されました。


信仰とは 

私は 神の子です


と言えること

と説かれたことがあります。

創造主なる神の子である
私たち人間もまた
心の力を使って
自らの運命を変えていける
自らの人生も
作っていくことができる

という

力強い人間観が 幸福の科学には
あります。

ただ 救いを待つような弱い存在ではなく
神の子としての本質に目覚めたならば
自らを救っていく力も本来は
持っているはずです。

病の時に  病気を治す力も
本当は 自分自身のなかに持っていることを
信じるのは
人間が神の子であるからです。

この説法から
さらに時間を経て
こうした説法も数多く
されてきました。


人として生きるなかで
出逢う人生の様々な問題。

数多くの問題のなかのひとつ

に対する心の
処方箋説法が 幾つか 集められています。

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