なぜ 宗教が 嫌われることが多く警戒されるのかを考えてみた
夫と結婚したとき 私はすでに幸福の科学の会員になっていました。
結婚前に、夫には何冊か本を 渡してそれに 悪い反応は無かったので了承してもらっているもののと 安易に考えていました。
しかし、その後10年ほどは 理解が得られなかったのです。
早くに両親を亡くした 私が 宗教に惹かれるのは理解できるけれども、結婚して幸福になった(夫が ここに いるのに)なぜ まだ 宗教が必要なのか わからない というのです。
近所に住んでいた義父からはある日はこんな話で 諭されました。
昔 住んでいた地域に ご主人を亡くし、子供達と住むシングルマザーがいたのだが、その母親が 宗教にはまり 夜も子供を置いて会合に出かけて留守にしてしまう。 信心もいいが、子供を置いて出掛けていく 家庭をなおざりさにして信心するのはどうかと思うと よく近所で噂になっていた。
それは、私に 釘を刺しておきたい為の 言葉でした。
冠婚葬祭や お盆、お彼岸、といった時くらいにしか お世話になる事が少ない伝統仏教、
初詣やお宮参り、七五三といった生活のなかの風習として根付いた神道ですと、
時間もお金も費やすことは確かに少ないので、安全だと見られているのですが、新興の宗教であれば家族の一人が 熱心になればなるほど 家庭が壊されていくという認識が あるのだと思います。
家族全員で その教えに 帰依することがあればよいのでしょうが、誰か一人ともなると
今までの 価値観と違う 新しい価値観を持つので 家族間の相互理解が 難しくなることがあるようなのです。
また、仮に家族全員が その教えに帰依したとしても、取り巻く世間は 「新興宗教」=「怪しい」という目があり、信仰を持つ家庭で生まれた子供であっても 学童期になると 周りが宗教的環境に無い、学校の先生や友だちに囲まれてしまうと 周囲の価値観と 家庭のなかの宗教的価値観との違いで 苦しむことも出てきます。
最近、とある宗教の教義に従って 韓国の男性と2度結婚して、その後離婚 教えを離れた女性の話を解説している動画を目にしました。
その女性は 母親がその宗教の信者であり、母親自身が、夫の不倫に悩んで新興宗教に入信したというものでした。母親を喜ばせたい、悲しませたくない思いでその女性も入信して 教えに沿った結婚をしたが その結婚生活は悲惨なものだったようです。
こういう 事例をみますと 確かに 宗教に日頃縁がない人たちが 警戒心を抱くというのは 確かにわかるのです。
1995年には オウムのサリン事件というものもありましたから、日本人は 宗教が何か洗脳する悪いものであるかのように 刷り込まれている面もあるとは思うのですね。
ただ、私は
例えば 家庭や 学校教育のなかで 「宗教」に対して全く教えていないことにも 大きな問題があるのではないかと思われてならないのです。
宗教2世の問題も、
「宗教」が問題なのか、それ以前の
「家庭内の人間関係」
「家庭内の倫理観」の問題なのかが、
ごちゃ混ぜに論じられているような気がするのですね。
ただ それを踏まえて なお
宗教にも 、
結果的に死後 地獄に連れ去るような
間違った教えを説いているものが存在することは 確かなのです。
宗教なら すべて 正しいということではありません。
また 宗教ならす すべて間違いだということでもありません。
宗教に縁が無かった人が 新しい宗教に誘われた時に正しさの基準を どこに置いて見分けるのべきなのでしょうか。
それは 因果の理法
原因結果の法則
が 入っているかが ひとつの判断基準になるのではないかと思います。
善因善果 悪因悪果 を教えていること
人を傷つけたり殺してはならない
盗みをしてはならない
不倫をしてはならない
嘘をついてはならない
貧しい人に分け与えることや
尊い神仏やへの布施を惜しむ
物惜しみや不道徳な生き方をしてはならない
こうした 人として生きる道徳や戒律が 基盤にあるかどうかも 大切だと思います。
よく問題とされるのが 献金問題ですが
収入の1/10 程度の献金というのは どの宗教でもよく耳にします。
これも そのご家庭ごとの事情によっての目安でしょう。
月収100万円ある人と月収15万円の人では すべて10%という一律なものでは 厳しいです。
子供に食事も満足に与えられない状況での 布施や献金は 普通は間違っていると思います。
そして さらに
地上を生きている人間には逃れる事ができない
生老病死、
怨憎会苦 憎しむものとの出会い
愛別離苦 愛するものとの別れ
求不得苦 求めても得られない苦しみ
五陰盛苦 肉体煩悩が燃え盛る苦しみ
という四苦八苦を滅する境地を求めていくようになると宗教的な境地は深くなっていきます。
天国に住むための条件
こちらを 釈迦の本心のなかで とても簡単に述べられています。
「常に笑顔で生活できる人」
「それが 飾りの笑顔でなく本心唐出る笑顔であること」
「多くの人にきらわれて生きたような人は天国にはいない」
「人に好かれるような人というのは、結局多くの人を好いてきた人」
心のなかで思っていることを誰に見られても恥ずかしくなく、他の人にも害にならない生き方をする
簡単なようで、
意外に難しいことです。
自分の心の中を それほど深く見つめることはなく感情的に反応していることも日々 多いものです。
宗教に おいて 誤解を受けていることや
宗教の正邪についても 考えてみましたが
人生がこの世だけで終わるものでないことを
教えるのは やはり 宗教の役割でしょう。
無神論の国家や、神仏の心を忘れた人が増えていくと 道徳が形骸化してしまうのも
あの世の天国、地獄の世界を貫く 縁起の理法を知らないからではないかと 思えてなりません。