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霊的世界を知ってみると安楽死は本当に安楽死になるのかを考えてしまう
がん などの病気に罹しても治る人も多い。
それを 信じて悲観的にならないことは大切だと思っています。
ただ、再発、転移したケースはどうなのかなと 大腸がんから肺に転移して2度目の手術をしたときに考えていました。
その場合は治らない 治らないが薬で抑えながら、薬が効かなくなったら緩和治療で辛い症状を抑えると言われています。
痛みの日々は辛いですから なんとか緩和したいものです。
医療用のオピオイドも多数あるのですが、これもまた便秘の副作用があるようで、
これに対処するオピオイド専用の便秘薬も最近出ています。
終末期の痛みを抑えるには鎮静という 方法もあるということは知りましたが これは安楽死のように誤解されることも多いようです。
自分が病気にならなければ 安楽死という問題を深く考えることはなかったと思います。
自分の病気を通して 改めて 仏法真理の目から見た安楽死について考えるようになりました。
仏法真理や霊的世界を知らなければ、私も
安楽死は 苦しむ時間を縮めるためには むしろ患者さんの為になるかもしれないと思っていました。
しかし、人間に永遠の生命があるということを知ってからは
必ずしも
安楽死が苦しみからの解放ではない
ことを知るに至りました。
ケースバイケースではあるかもしれません。
ケースバイケースだと思うのは、
人間は死ねば何もかも無くなるモノだと思っている人にとっては自分が死んだことがわからずにそのままの意識で 病院のベッドで留まっていたり、家族のもとに帰って一緒に生活をしていたりするといった人もいるからです。
こういう霊になった方々を助けるのは本当に大変なのです。
医師や看護士で天国に既に還られた方達が
病院での治療を装いながら徐々に 霊界日本でも導くという仕事をされているケースもあるようですが、そこに辿り着いて 聞く耳を持って受け入れるのもかなり時間が かかる人もいるようです。
自分は生きていると思っているのに あなたは死んだのだと言われて怒る人(霊)も 多いと聞きます。
大川隆法総裁先生が2011年に湯布院で
説法された「病気を治す心構え」のなかで
天国には病気の人はいません
死んで病念を持って帰ったりしないんです
という言葉をずっと 考え続けています。
この事は 地獄に行ってしまった場合は病気の苦しみは続いている可能性が高いということだよね。
と思えました。
たとえ 地獄に行くことになっても 反省して心を入れ替えることができたなら 、天国に還ってくることができますが、 自分のどこが間違っていたのかが分からなければ反省もまた難しいのです。
人間は霊的な存在であり 肉体の痛みは肉体を離れた後には存在しないのだと本当に理解できていた場合は 死後も痛みで苦しむことは無いでしょう。
肉体を離れた魂や霊、 意識、自分の考えている事自身が 「私」そのものであると云うことを知っていれば、「病念」を掴んでしまっていることが 痛みになっていることに気がつきやすいでしょう。
痛みは 肉体の痛みではなく 心の痛みかもしれません
人生の終末期を穏やかに迎えるホスピスには
キリスト教系や仏教系の宗教が運営しているところもあります。
ただ 仏教大学でも 釈尊の説いた「 無我」の教えを「無霊魂説」のように教えているところもあると聞きました。
霊的世界を信じないままに 死を迎える人を見送っても 死後も意識がある霊達は救われません。
霊的世界や 天国、地獄を分けるものは 何であるかを知らないで 魂を助ける事は できないのです。
死後も続く永遠の生命の世界といった
霊的真実を全く知らぬままになされる
安楽死は ひょっとしたら霊界に還ってからの
苦しみを長引かせることになってしまいかねないと 思うのです。
生きているうちに あの世の知識を持っていることの重要性を 最近つくづく感じます。
いずれにしても、死後の生命まで考えた終末期の医療になって欲しいと考えるこの頃です。