Colabo観戦雑記⑤救済組織の難しさ
人を救済する根本的な解決
「人を救済するのに最も根本的な解決は何か?」そう問われたときには「人が救済される状況に陥らないようにすること」というのが最も根本的だと思う。ただそれが達成されると今までそれを生業にして来た人たちから生業を奪う事にもなる。
例えば医療従事者、病気や老化が何らかの技術革新によって根絶されれば不要の人たちである。例えば消防署、火事が何らかの技術革新によって根絶されれば不要の人たちである。
両方ともすくなくとも自分が生きている間にはそんな事は起きないが、不要になる社会の方がありがたいと言えばありがたい。
社会的な弱者救済に関しては状況によっては短期間で救済が達成してしまう可能性もあるため自分たちの活動が自分たちの組織を消滅に向かわせてしまう可能性も秘めている活動だと思う。そのためすごく崇高な活動だと思っている。資本主義の考えとはまったく違うことを民間組織で行うのは高い精神性を持ってないと維持は無理だ。活動に携わり、成果をだしている人は尊敬に値する。
救済組織の難しさ:正義連の場合
正義連の主張することの是非はともかく、コンセプトとしては従軍慰安婦への救済が根本にあったはずだが、だんだん変質していったのか従軍慰安婦への救済はおざなりになり、日本からの基金で解決に向かおうとしているのに拒否を促したりしてしまう。(もしくは元々慰安婦は「芸をする熊」のようで熊から搾取する熊使いのような組織であったのかもしれないが・・・)
従軍慰安婦の救済がなされると組織の存在意義がなくなるため、組織の目的であるはずの従軍慰安婦への救済が手段と変わっていたのではないか。高い精神性がないと組織維持のために救済対象を搾取する構造になるのは組織維持としては仕方がないのかもしれない。ここに救済組織の矛盾が出てきてしまう。特に従軍慰安婦自体はこれ以上増えることがないため矛盾が顕著であったのかもしれない。そこに北のスパイがささやいたのかもしらない。知らんけど。
Colaboの活動
若年被害女性等支援事業自体は必要な事だと思う。もちろん女性だけなのかというツッコミもあると思うが、とっかかりとしては無いよりもあった方がよいと思う。
ただ、Colaboの活動をみていると効率的とは思わないし、あまり積極的でもないように思う。活動報告もあいまいで、何人いるか分からないし、週1程度の活動という契約なのにそれ以下しかしない。このままでは若年被害女性等支援という名目でお金を引っ張っているようにも見えてしまう。
頑張って令和3年の精算をし、Colaboの活動が有益であり、不正もないものだと一般人にもわかるようにも分からせてほしい。