Colabo観戦雑記⑥行政の成果
公的機関の評価
完全な民間組織の場合には継続可能な活動となるかは収支が基準となる。そしてその活動は採算性があるかどうかは事前に計画するし、最小の予算で最大の結果を求めることとなる。成果はお金が生み出せるかどうかというある意味客観的な指標で評価されることとなる。
しかしながら公的機関の場合には成果はお金を生み出すことにない事もあるため、客観的な評価は難しい。数字で表してもそれが必要かどうかの評価はとても難しい分野もある。そのためその事業に割り当てられた予算が適切かどうかというのは結果ではなく予算が使い切れたかどうかという本末転倒な基準によって評価されることもある。
状況によっては予算を効率よく使用して、少ない予算で前年度と同じ成果を生み出した事は良い評価とならず、予算を減らす結果となる。
WBPCの活動成果
暇空さんがtwitterやyoutubeで上げている様に普通の感覚からすると使用した費用に対して信じられないくらい少ない成果が堂々と公表されている。もちろん、手探りな状況で行う事業であるので当初は費用対効果の少ない活動もあるだろうが、通常であればそういう状況に陥ったら活動内容に工夫を加えるし、都の担当者を納得させるだけの反省と改善点を考えるだろう。しかし、そのような工夫が加えらえれた形跡もなければ逆に予算が増える結果となっている。これは川松議員も指摘していることである。
Colaboの場合には令和3年度にもなるとかなりの寄付をもらっており資金は潤沢であるのに、自分たちの活動の一つを都からもらった予算から少ししか加えた金額(300万程度)しか加えず、しかも次の年度には大幅に予算が増えている。
成果を数字として考えても、想定よりも高い費用で低い回数しか活動していないため団体に対する評価としておかしい。また、成果を使用した費用から想定したとしても、使用した費用よりもかなり高い予算を配るのは説明がつかないことである。通常であれば開示されている情報から首をかしげる結果しか出なかった場合には説明をする必要があると思う。こういう税金の使い方をされると本当に困難な状況を抱えた女性に必要な支援が届くのか心配になる。
氷山の一角
おそらくこういうことは氷山の一角で行政部門では普通の事なのだろう。だから優秀であろう都の担当者もあのような報告書でも突っ込まない。(突っ込んだが上につぶされたのかもしれないが・・・)
暇空さんが行った住民監査請求は費用対効果を考えない活動に対して風穴をあけた。暇空さんの目標は行政の改善ではないが、こういう批判的検証を無償で行ってくれているうちに日本の行政が効率的に税金を使う組織に変わっていってほしいと思う。