夏の終わり
子どもの頃、
いや大学生になるくらいまで。
夏休みといえば福島の祖父母宅で過ごすのが定番だった。
祖父母はピーマンも育てたし、お米も作ってたし
桃も作ってたし、小さい畑で枝豆やゴーヤやトマトやナスなどあらゆるものを作っていた。
朝から忙しそうにしていた。
大葉で紫蘇ジュースを作ってくれて毎日飲んだ。
日中は畑の手伝いをして、夜はラジオを聴きながら小屋でピーマンの袋詰めを手伝った。
お盆の季節になると畑で作ったお花を売って、
売り子をした私や妹のお小遣いとなった。
数キロ先にあるコンビニまで、一台しかない自転車を妹たちと交互に乗り継いで
ジャンプを買いに行った。
たまに叔父さんが駅前の本屋まで車を出してくれたり、健康ランドに連れてってくれて
それが唯一の娯楽だった。
夜はみんなで散歩をした。
遠くにみえる花火をみたり、電車を見たりした。
おじいちゃんは尺八がうまかったので、
何の曲かわからないけど夜風に吹かれながら尺八を聴いたりした。
そして、唯一の楽しみ、自動販売機で都会ではみかけない謎のジュースを買った。
祖父母宅の隣には小さな公園があって、
おじいちゃん達は「遊園地」と呼んでいた。
私はそこでシーソーを平行にするのが得意だった。
妹たちとピストルでバイオハザードごっこをしたり、
お寺を探索したり、
子猫をみつけたり。
お盆の時期はお寺に屋台が出るので、
お花を売ってためたおこづかいでかき氷を買ったり
光るおもちゃを買ったりした。
年が近い子の家に行き、心霊本を見せられて
本当に怖くて飛んで帰ってきたこともあった。
田んぼと電信柱しかない。空気がおいしかった。
いつも帰る二日前になると父が車で迎えにきて、家族が揃うとほっとした。
私は夜眠るのが苦手で、
遺影のたくさん並んだ座敷で寝させられるのが
子どもながらに怖かった。
でも父が増えると少しほっとして
寝つきはよくなった。
帰る前の日は手持ち花火をした。
夏が終わってしまう。
私は似たような夕焼けの写真を毎年何枚も何枚も撮った。
美大生になるとスケッチブックを携えて、あちこちに絵を描きに行った。
最終日はおじいちゃん、おばあちゃん、おじさんおばさんも含めてみんなで記念写真を撮るのが恒例だった。
夏といえばいつも田舎を思い出す。
正確には母の田舎だけど。
祖父母は亡くなってしまったので
もうああやって過ごすことはないんだなと思うと心のどこかがちくりとする。
そんな夏の終わり。