因果関係論の諸説
因果関係は、ある行為から結果が生じたという関係のこと。因果関係論とは、どの様な場合にその行為から/その結果が生じたと言えるのか/つまり、その両者に因果関係があると言えるのかをめぐる議論である。これには細かく5つの説がある。まず、行為と結果との間に「あれなければ、これなし」という条件関係があれば/その両者に因果関係を認めるとする条件説がある。実行行為なければ現に発生した具体的な結果はないという条件公式ともいえる。但し、条件説は因果関係が認められる範囲が広くなり過ぎてしまい、/不当な結論を回避するために、因果関係の進行中に被害者若しくは第三者の行為または自然力が介入するときは中断し、そこに刑法的因果関係はないと主張される不十分なものである
そこで、条件説で広く認められ過ぎている因果関係にについて/条件関係に相当性を必要とする制限を加えて妥当なものにしようとする相当因果関係説という見解があり、更に客観的であるか主観的であるかで2つに分かれる。まず客観的相当因果関係説とは、行為当時に存在する客観的事情を全て前提にして相当性を判断する考え方で、例としては脳梅毒末期という客観的事情がある人の頭を軽く叩くと死んでしまうことが挙げられる。
一方、主観的相当因果関係説とは、行為当時に行為者が認識していた事情あるいは認識し得た事情を前提にして相当性を判断する考え方で、例として「梅毒末期の人の頭を叩いたという同じ行為でも、その病気があると行為者が認識していた場合は相当因果関係はあるとされ、逆に認識し得なかった場合は行為と結果の間に相当因果関係はないとされること」が挙げられる。但し、因果関係は客観的に存否を判断すべきで、行為者がある事情を知っていたか否かで因果関係の存否が変わるのは、責任を逃れるために利用されうることが問題になる。
最後に、通説である折衷的因果関係説は客観説と主観説の中間的見解であり、行為当時に行為者が特に認識していた事情と相当な注意力ある一般人なら認識し得た事情とを前提として、相当性を判断する。但し、結論的には妥当だとしても、やはり因果関係の問題と責任非難の問題とを混同しているのではないだろうか。