w-inds.をnostaigicに語る③

 仕事に忙殺されている内に、10月になり(毎年これくらいの時期に1年の速さに愕然するルーチンやめたい)いつの間にかnostalgiaツアーも後半を迎えている。 が、その隙間に11月の追加大阪公演にも行けることになったので少しずつ自分の好きを言葉にしておきたい。


懐かしき葉山サウンドとシンプルに響く歌詞

7年前当時私はやはり受験生で(受験ばっかしてる人生)、w-inds.が俄かに気になったといっても今新しいコンテンツにハマるわけにはいかないという自制心により、積極的に新しい素材を漁らないようにしていた。そんなわけで、とりあえず元々知っている初期曲を聴こうとTSUTAYAに陳列されていた最初のベストアルバムを借りるというアナログな方法をとったが、これが沼の始まり。車内で流し始めて数分で圧倒的ノスタルジー…懐古的な気持ちに引きずり込まれた。何故こんなに今でいうエモい気持ちになるのか、クレジットを見て納得。
作詞作曲:葉山拓亮
あ~ねと独りごちる。葉山さんと言えば、SPEED解散後の寛子や絵理子に沢山楽曲提供している人で(特にhiroのTreasureという曲はこの季節に絶対聴きたくなる名曲)、小学生の私はほぼ葉山さん、伊秩さん(SPEED)、つんく(ハロプロ、突然呼び捨てとなる)サウンドで育っている。そりゃ琴線に触れるわけである。

 音楽のツボは人それぞれで、メロディ、ノリの良さ、振り付け、バンドの音など、音楽に精通しているか否かは関係なく楽しみ方は自由だが、私の場合は完全に歌詞から興味が発展する。何しろ小学1年でSPEEDの曲を聞き漁っては喧噪ってなに?嬉しいほど明日が不安で泣けるってどゆこと?(SPEED世代ならどの曲か分かるだろう)とか親に聞いていた私。今思えばとんだクセ強小学生である。そうやってクセが強いままいつの間にかアラサーになった私に、 当時中高生の彼らが歌う歌詞は心に染みた。


Feel The Fate 
口にすれば単純そうで それでも実際の行動考えてるよりもきっと難しいね だけど一つずつでも解決できればいい 未来に近づけるように
Paradox  
明日を描けること 昨日に寄り添うこと 
今日の壁超えるために どちらも欠かせない
try your emotion 
誰も一人きりの顔は知らなくて 本当は泣きたい夜もあって
何気ない言葉を交わしただけじゃきっと想像できない

 難しい言葉は一切使わないストレートな歌詞だからこそ、日々の鬱屈を代弁してくれているようで強烈な歌の力を感じた。歳を重ねたからこそ、このシンプルさが響く。歳をとると単純なことほど難しくなる。自分で選択した道なのに、いつのまにか目の前のタスクをこなすことに必死で目的を見失ったり、他人と比べては安心して、でも他人と比べることでしか安心できない自分が一番矮小だと気付いたり、悶々としているのは自分だけのような気がして隣の芝生が青く見えたり…やりたいからやる、という単純なことが余計な情報や予測が邪魔してできなくなる。w-inds.の歌詞は当時自己肯定感がなかなか上がらない日々を送っていた私に、無理やりに背中を押すのではなく「分かる、口で言うほど簡単じゃないよね。回り道かもしれないし、正解かも分からないし」と寄り添いつつ、「でも皆そうなのよ、できることからややりゃいいのよ」と心地よく助言してくれるようなサプリになった。

デビュー曲から既にnostalgia

 w-inds.は本人達も今では認めているように、当時は完全にアイドルグループとして認識されていた。15~16歳の美少年3人が揃えば無理もないが、
w-inds.自身は当初からTHEアイドルという佇まいとはどこか違っていた。
それは別に歌やダンスの実力が高いからということだけでなく(アイドルは歌やダンスが上手くないのかという論議はさておき)、曲の特性がそうしているのだと思う。
デビュー曲の「Forever Memories」からして異質なのである。
歌い出しはこうだ。

まだ覚えているでしょう 波音に包まれて
肩並べて歩いた まるで昨日のことみたいね

「昨日のことみたい」ということは実際は過去のことで、主人公は昔を
思い出しているのである。その上でサビでこう告白する

何よりも大切だった 誰よりも愛してた
この恋を守りたかった いつも夢を見ていた
たとえ離れて暮らしても あの瞬間の二人は
いつまでも輝いたまま 今日の日を照らすよ

過去形である。守りたかったのも夢を見ていたのも過去形。
今はもう夢ばかり見れないし、夢だけで生きていけないことは分かっているけど、それでも誰よりも愛していたし、あの瞬間の2人はいつまでも輝いている。もはや失って過ぎ去った恋を主人公は懐古している。そう、現在進行形の幸せMAXのような恋愛ソングとは真逆で、デビュー曲から既にw-inds.は懐古=nostalgiaしちゃっているのである。
冷静に当時のPVを見ながら歌詞を聴くと、15歳にしてどんな人生なんだよと突っ込みたくなるくらいの激重感情なのだが、それが慶太の透明感限界突破している歌声を爽やかなメロディに乗せることで、全く重く聞こえないところが秀逸である。そしてこの曲の更にすごいところは、聞き手に想像させる余白と可塑性ではなかろうか。

楽曲の普遍性と可塑性が生み出すエモさ

実はこの曲、歌詞の中にただの一度も人称代名詞が出てこないのである。
JPOPの恋愛ソングというのは往々にして僕と君(あゆ世代なのでこの呼び方が最初に出てくる)、私とあなたなど人称を設定して物語が展開されるものだが、Forever Memoriesは最初から最後まで主人公の独白で、更に俺や僕という代名詞さえない。唯一、「二人」「恋」という単語を入れるだけで、主人公が「あなた」や「君」との恋を懐かしんでいることを示唆しているのである。それゆえ、いつどんな状況で誰との恋を懐かしんでいるのか、肩を並べて歩いた相手は女性か男性かさえも聴き手の想像に委ねられる。

そして余白が多い分、歌い手の成長につれて曲の聴こえ方も変わってくる。
2番のサビで”何一つしてやれなくて わがままも聞けなくて”という語調を入れることにより、なんとなく彼女の我儘に寛大になれなかった自分を悔いる男子の図が浮かんでくる。上に書いたように、15歳にしてどんな経験だよと突っ込みたくなる一方で、10代の時って今思えばどうでもいい一つ一つが事件だったよなと、寧ろ何度か聞くと若さゆえの青さが感じられたりする。
この主人公は高校生で、初めてできた中学時代の彼女のことを思い出しているのかもしれない。「昨日のことみたい」に感じる過去は、実はまだ3か月前で違う高校に行ったり、引っ越しで別れたのかもしれない。メンバーが20代後半、30歳のころに歌う映像を見ると、社会人になり世間の荒波に揉まれている「僕」が、学生時代そのものを感傷的に思い出しているようにも聴こえる。この時期の慶太のキーは一旦低くなっているので、そうした聴こえ方の変化もあるだろう。
そして、現在40目前で実生活でも既婚者となった2人が穏やかな顔でこのForever Memoriesを歌っているのを今回のツアーで聴いた時は、家庭を築いて幸せな現在を送っている主人公が、今の生活が大切だけどあの頃の思い出は色褪せないよねと完全に過去として語っているような、上手く言えないけれど未練とか、感傷といったものを取り除いたもっと純度の高い懐古のような印象を受けた。このNostalgiaツアー自体が、初期曲だけやるからといって3人時代を決して感傷的に振り返るものではなく、だからといってなかったことにするのではなく、全部受け止めた上で2人が「最新のw-inds.が一番最強」と思わせてくれるようなパフォーマンスを見せてくれているという清々しさも重なって尚のことである。
いずれにせよ、懐古という行為はとても普遍的なもので、だからこそ歌い手や聴き手が年齢を重ねるごとに捉え方が変わっていく可塑性に満ちている。
個人的には元々SPEEDやハロプロが好きなので、まだしっかりと意味を理解できない年齢のメンバーが(理解しきらずに歌っているからこそ生々しく聴こえないという作用もあるが)、その意味を理解していく成長過程にエモさを感じるのもある。
w-inds.はこの成長に伴う楽曲の味わいの変化もありながら、色んな過程を経て原キーを歌いこなす慶太と、その昔の慶太を彷彿とさせる涼平の澄み切った歌声(超ド級隠し玉という感じ)によって、10代のような瑞々しささえ両立している。本当に奇跡のようなグループだし、Forever Memoriesというデビュー曲を持っていること自体が、このグループの大きな財産であろう。
本ツアーに参戦するにあたり曲を聴き直し、言いたいことはまだまだあるのだが、こんなに長くなる予定では無かったのでまた次回…(きっと書く)





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