「自分がされて嫌なことはやめましょう」はやめましょう
これは早口言葉でもなければ呪文でもありません。難しくも見えますが、簡単にも見えてきます。簡単にも見えますが、難しくも見えてきます。
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子ども同士の「むむむ、これはよくないぞ」という関わりやトラブルを目にした時に私たち大人は
「自分だったらどう?」
「自分がされて嫌なことはやめようよ」
こんなことを口にしてしまう。
大人も「いやいやー、それはないでしょうよ…」と自分が思うから出てくる言葉かもしれない。
こんな時に子どもは(このめんどくさそうな時間を回避するための最適解を経験値ですでに)わかっている。
子ども「(自分がされたら)嫌だと思う。」
大人「そうだよね、嫌だよね。じゃあやめて謝ろうか。」
子ども「はい。(よっしゃーおわった!)」
…この時間は「謝る練習」としては大事なのかもしれない。だけど虚しい。虚しすぎる。大人の方もこう聞けば子どもはこう答えるだろうを想定してしまっている可能性が高い。お互いにわかっている「お決まりの流れ」化だ。
いや、小学生ならこんな回答もあるだろう。
子ども「別に(自分がされても)嫌じゃないし!」
自分がされても嫌なことじゃないんだからいいじゃん!という姿勢である。
こう言う子は、本当に嫌じゃないのになーと考えているかもしれないし、こんなことで泣いているやつと自分は違うんだと自分の優位性を示したいのかもしれないし、とにかく腹が立っていて大人が欲しがっている「お決まりの流れ」をぶち壊してやると考えているかもしれない。(←そのパンクさは重要ではある。どんどんいけ。)
だけれど、「自分がされて嫌なことはやめよう」は「自分がされて嫌なことじゃないからおっけー」に入れ替わる。
「自分がだったらどう?」
「自分がされて嫌なことはやめようよ」
これらの問いかけに決定的に足りないものがある。それは、、、
相手
とにかく相手がいない!!!!
自分だったらどうかなーと考えている場合ではなく、相手が嫌がっているじゃん!やめてと言っているじゃん!それだけだ。
「自分がされて嫌なことはやめましょう」
ではなく
「相手が嫌なことはやめましょう」
「自分がされても嫌じゃないけど相手が嫌ならやめましょう」
だっ!!!!!!
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