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見えないもの

最近よく、頑張ってるのになんで誰も認めてくれないのか、求めてくれないのか、と苦しむ。
私はいつも必死だ。
ただ息を吸い、吐くというだけのことの不安定さに怯えながら、1分1秒生きることに身を削られて。
あなたは痛くも痒くもないでしょうね、なんて言葉はいつ何時も私に当てはまることはないのに、いつも押し付けられる。
目の前の過去と未来に押しつぶされそうになりながら、一分一秒顔をあげようとしている。

必死だということは、頑張っている事ではないのだろうか。
頑張っていることは、ちゃんとやっていることではないのだろうか。
私は、誰と、何が違うというのだろう。
もうこれ以上、どうなれというのだろう。
それとも何か、発達障害でも持っているのだろうか。だから言い訳するように、個性だとかいうのだろうか。

ムカつく、直せと言われても見ての通り、その言葉を考慮する余裕なんてない。
目の前に広がるものに精一杯だ。
死にたくないけど生きていたくない。

こうやって傷つき続けている事は繊細なのではない。
繊細なんて言葉はもっと良い言葉で、私なんかに当てはまる言葉ではない。
この繊細という言葉が意味するのは、めんどくさい人だという評価がつけられたということ。
あなたは生きづらそうだと、そう言いたいのだ。

もうよくわからない。
辛い、という感情の原因がそこら中にある事を、当たり前にしてしまえる方が狂ってる。
傷つく人を繊細だという方が間違ってる。
直せというくせにその変な人という枠に私を押し込まないで。

私が頑張っているのかはわからない。
頑張れていないかもしれないけど、だとしても、これ以上はできない。

私の前に出されたもの、見える景色を見た人は誰もいない。見えるわけがないの。そして誰も、見ようともしない。

私を人殺しにしようとする人がいる。
それを誰も知らない。
私に好きだと言った人がいる。
その人は私の傷のついたチョロさと誰かとの恋が欲しいだけ。
それを誰も、本人さえも知らない。
愛が欲しいのに、愛に近そうなものを断ってしまった、断らなきゃいけなかった私のことを、恐怖に震え、不安に震える夜をいくつも乗り越えた私のことを誰も知らない。



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