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「YouTubeばかり見る子ども」の姿に気づかされた“正論”の再考察

こんにちは。

今日は、子どもの「熱中」を、親の一方的な正論で否定するのではなく、いったん受け止めてみることが、結果的に子どもの世界を広げる可能性
があるのではないかということを考えた話です。

背景として、僕は昨日、以下の記事を書きました。

正論って人それぞれの見方によっていろいろあるから、一方的にそれを押し付けるのは良くなさそうで、相手の正論を適切に面白がった方が良いよねといった内容です。

そんな事を考えながら、ほんたんさんの以下の記事を読みました。

子供の”ハマる”を大切にして、親はそれを適切にサポートすべきであるといった内容の記事でした。

この内容を読みながら、
「親が正論だと思っていることも子供にとっては正論じゃないときもあって、そこに子供の”ハマる”が眠っている可能性はあるよなぁ」
と思ったわけです。

最近、子どもが何かに夢中になっている姿を見て、
「もっとためになることをしてくれたらいいのに」と思うことがありました。
でも、ふと立ち止まってみると、本当にその「ためになること」は誰にとっての正解なんだろう? と疑問に思う瞬間があったんです。

僕の息子4歳

この記事では、親が持ちがちな正論と、子どもの好奇心との関係について、僕なりに考えたことをまとめてみました。
あくまで個人的な考察ですが、何かのヒントになれば嬉しいです。

1. 親の正論はいつも子どもにとって最適なのか?

正論を「絶対の基準」に置いてしまう危うさ

僕は子どものためを思って、つい「こうすれば将来の役に立つんじゃないか」「こういう遊びのほうが知育になるんじゃないか」と正論を掲げてしまうことがあります。

ただ、一方的にそれを押し付けてしまうと、子どもが「自分の興味関心を自ら探す」きっかけを失ってしまうのではないか、と感じることが増えてきました。

たとえば、僕の子どもはYouTubeを観るのが大好きなのですが、最初は「もっと教材になる番組を観せたほうがいいんじゃないか」と思ったりもしました。
しかしその後、子どもがYouTubeで見た遊びを実際に公園や砂場で試したり、プラレールや昆虫に興味を広げたりしているのを知って、「ただ親の頭の中だけで危険視していただけだったのかな」と考え直すようになったんです。

「押し付けられる」と子どもが自分の意見を持たなくなる?

私が一番懸念しているのは、子どもが親の正論に従うことに慣れてしまうと、
「自分で問いを立てて、自分なりの答えを導く力」が育ちにくくなるのでは、という点です。

子どものうちは特に、大人の言う事を素直に聞かなくても、強く言ったりするとそれに応じやすいと思います。
でも、それを繰り返してくと「自分で考える前に親の意見を飲み込む」という方向にいき、本来自分で発見できるはずの興味や疑問を見逃してしまうかもしれないと感じています。

2. 子どもの好奇心が生まれるきっかけ

YouTubeから広がる実体験

YouTubeで紹介されている遊びを真似してみたい、と思うことがうちの子どもにはあるようで、砂場での遊び方や、プラレールの組み立てなど、最初は動画がきっかけで始まったものが、いつのまにか「リアルの遊び」と結びついている光景をよく見かけます。

とある日のリアル遊びの結果

もし「YouTubeばかり見てちゃダメ!」と強く制限していたら、その遊びの芽が出る前に摘んでいたかもしれません。

もちろん、僕自身もコンテンツには気をつけています。あまり暴力的なものは避けるとか、夜遅くや食事中は見せないなど、最低限のルールはあるつもりです。
でも、それは「何でも好きなだけ見せる」というのとは別で、あくまで生活リズムや安全面を守るためという感覚です。

親の考えに余白を持たせる

僕自身、最初から完全なる「YouTube肯定派」ではありませんでした。子育ての中で子供が勝手に熱中してくれるコンテンツはとても便利でありがたかったので、それに頼ってしまっていました。
一方で、子供の発育のためにはもっと知育や教育のためになるものと触れさせた方が良いのではないか、と思っていました。
しかし、子供が熱中しているよは確かなので何をそんなに面白がっているのか観察することにしたのです。
結果として、「とりあえず見守ってみる余白」をつくったおかげで、子どもの新たな興味を知れた気がしています。
もちろん、最終的に合わないものだったら自然に離れていくこともあるでしょうし、好きすぎる場合はほどほどで切り上げる工夫も必要にはなると思います。

3. 子どもを「問いを持てる人」に育てたいと思う理由

親の正論だけに頼らない思考

将来大人になったとき、世の中にある情報から何が正解かを自分で判断しなければいけない場面が必ずやってくると思います。
そのときに、何事も「親の指示待ち」になってしまっては、うまく情報を活用できない可能性もあるのではないかと、僕は感じています。

私が考えることは、子どもが自分の頭で「これってどういうことだろう?」「もしかしたらこうしたら面白いかも?」と問いを立てられるようになることです。
たとえば、子どもが「昆虫の生態をもっと知りたい」と感じれば、自分から図鑑を手に取って調べるかもしれないし、「こんな遊びを思いついた!」と自発的にチャレンジするかもしれない。
そういう探究心が生まれる瞬間を後押ししたい、というのが私なりの考え方です。

正論が正論でなくなるとき

「YouTubeばかり観るのをやめなさい」「外で体を動かしなさい」といった意見も、子どもにとっては本気で嫌なこともあるかもしれません。
もちろん、だからといって放置すればいいわけではないし、冒頭の記事にあったように適切な親のサポートが子供の熱中を効果的に育てるために必要な事だと思います。
ただ、「親の示す正論が、子どもの性質には合わない場合もある」という視点だけは忘れずにいたいな、と思っています。

4. 私が考える「親の正論」との付き合い方

頭ごなしに否定しない

私は、「とりあえず1度は受け止める」というスタンスを意識しています。
「それってどこが好きなの?」と聞いてみたり、「へえ、そうなんだ」と、まずは反応してみる。
そうすることで、子どもが楽しんでいる理由を私自身も知る機会が増えました。

プラレールを走らせるではなく、ディスプレすることを楽しむ

必要な範囲でフォローする

もちろん、動画やゲームの時間が長くなりすぎる場合や、明らかに生活リズムが崩れそうなときは声をかけています。
ただ、「理由を伝える」だけは大事にしようと思っています。
私も子どもの頃、よくわからないまま「ダメ!」と言われると納得できなかった記憶があるので、今の子どもには少しでも納得感を得てもらえたら、と考えています。

【結論】

冒頭の記事で書いたとおり、絶対的な正論なんて本当にあるのだろうか、と僕は考えます。
大人にもいろんな価値観があるように、子どもにも子どもなりの“正しさ”や興味があっていいのではないでしょうか。

子どもが何かに熱中している姿を見たとき、親として「もっとこうしたほうがいいのに」と思うことは今でもあります。
でも、それが自分の考えだけに基づいた“正論”だとしたら、ちょっと立ち止まってみるのも大切かなと感じています。

「なぜ子どもがそこにハマっているのか?」と問いかけてみると、意外な発見があることもある。そうした小さな気づきの積み重ねが、子ども自身の思考力や、未知のものへ飛び込むチャレンジ精神に繋がるのではないかと思っています。

結局のところ、何がわが子にとって最適かは一概には言えないものですが、だからこそ「子どもの視点」を知ろうとする余白をつくることが大事なのかなと感じます。

僕自身、まだまだ試行錯誤の途中です。もしどこかで同じような悩みを抱えている方の参考になれば幸いです。

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